2007年4月24日

「パリ ジュテーム」

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人は皆ちがう。それを個性と言う。映画監督も、もちろんそれぞれ違う個性がある。たとえば、小津安二郎は小津調といわれ、誰が見ても(映画好きの話だが) 小津安二郎が撮った映画なわけで、黒澤明なら、やっぱり黒澤らしさがどこかしらに映画の中に出ている。洋画でもジョン・フォード、ヒッチコック、フェリー ニ、ゴダール。みな“らしさ”が映画にみなぎっている。簡単にわかりやすく歌でたとえれば、桑田佳祐の歌は、誰が聞いても桑田佳祐だし、中島みゆきの歌 は、誰が聞いても中島みゆきだ。映画監督も、その映像の色彩、アングル、その他の映画のすべてが、どこの誰でもない、その人なのだ。そんな個性的な世界中 の映画監督18人がパリを舞台に、それぞれが5分の短編を綴ったオムニバス映画「パリ・ジュテーム」。「ファーゴ」以来ファンも多いコーエン兄弟が、彼ら の作品で、おなじみのスティーブ・ブシェミと組んで大笑いさせたり、「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリがイライジャ・ウッドを起用して意外な展開に もっていったり、「ラン・ローラ・ラン」のトム・ティクヴァがナタリー・ポートマンでロマンティックに表現したり。「モーターサイクル・ダイアリーズ」の ウォルター・サレス、「トゥモロー・ワールド」のアルフォンソ・キュアロン、「サイド・ウェイ」のアレクサンダー・ペインなどなど、キラ星の如くとは、ま さに、この映画のこと。たった5分なのに、ちゃんと“らしさ”が表現されている。今の日本映画に薄れがちな監督の個性が、この映画には存在する。映画が好 きな人にとっては、とても素敵な作品に仕上がっている。そして、なんといっても主役はパリ。いつの時代でも、あこがれの街パリ。行ったことないけど。v

2007年3月3日

「さくらん」

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「クダラナイ情報が勝手に自分の中に入ってくるのが嫌」だから、テレビを見な い人なのだそうである。もう10年もテレビを見ていないそうだ。確固とした個性 と信念を持って活動する人は自分の世界や感性というものを大切にしている。映 画「さくらん」の監督であり世界的に評価されているフォトグラファー蜷川実花 もそのように生きているクリエイターの一人。作品を見るとわかるが、彼女の写 す情熱的な、色彩の渦のような写真は、彼女の感性を、そのまま写しているよう な、蜷川実花の世界がある。独特の世界観や感性というものがあるから、不必要 な情報は邪魔者でしかない。自分の感性を磨く。とても大切なことだと思う。知 るということについて自由・権利があるということは反対に、知りたくない自由 や権利もあるはず。その点、映画館で見る映画は、見たい人は見るし、見たくな い人は見ない。理想的な情報でもある。
映画「さくらん」は彼女の初監督作品。原作は人気漫画家、安野モヨコの同名コ ミック。脚本は映画監督でもあるタナダユキ、音楽は椎名林檎。そして主演は、 今もっとも若い女の子に人気の土屋アンナ。今の日本強力女子クリエイター勢揃 いの、ヴィヴィット・ガールズ・ムービー。今の卒業の季節に、たとえれば矢ガ スリに紫袴、そして編みブーツ的な映画なのだ。物語は江戸時代の吉原遊郭を舞 台に、8歳で吉原につれてこられ、やがて伝説の花魁(おいらん)となった女性 の生き様を描く。今まで、江戸時代の遊郭・吉原を描いた時代劇は数々あるが、 この作品は、女性の視点で始めて描かれた。男が思っているよりももっと、たく ましく、ずうずうしく、悲しい女の世界を女たちが描く。すごいなこりゃ。

2007年2月10日

長い散歩

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外に出て周りを見回すと、昔と違うなーと思う風景がある。その中の一つが親子の風景。昔なら小さな子供とお母さんの、たとえばおんぶして、買い物カゴをぶ ら下げている姿。それとも、ギリッと手をつないで歩いている姿。そこには、たまにお父さんもいて、まん中に小さな子供がブランコなんかしてぶらさがって楽 しそうに歩いている姿。今なかなか見ないなー、オンブも手をつないでブランコも。近頃では、ショッピングセンターの駐車場でさえも走り回る子供たち。それ を“やめなさい”と、口だけ注意する“ママ”たち。昔も今も子供はそんなに変わらない。口で言ったって言うこと聞くわけがない。ただ手をつなぐだけだけれ ども、それだけで、言葉では伝えられないものが、手を通してつたわっていく。それは、ぬくもりであり、こころでもある。携帯でメールや電話しなくていいか ら、子供の手をつないでよ“ママ”。なんで大事な子供の手をつながないのかなー。
映画「長い散歩」は、毎日起こる悲惨なニュースに、一体全体どうなってしまったのかとさえ思える今、日本人が失いかけている優しさや愛情をテーマに、主演 に緒形拳を迎え、監督・奥田瑛二が家族と共に作り上げた渾身の作品。厳格な教育者として生きてきたゆえに家庭をかえりみず、家族を失った元校長が、母親か ら虐待を受け心を閉ざしている女の子を救い出し旅に出る。その手をつなぎ歩いていく二人の後姿が、心に降り積もった澱のような気持ちを涙で洗い流してくれ る。
人として優しさとか思いやりとかが忘れ去られようとしている今、それを取り戻さなくては。間に合うかもしれない、今ならまだ。あきらめないで。人間ならば。

2007年1月22日

ヅラ刑事

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シネマディクトをオープンしてこの3月で10年を迎える。思い起こせば13年前、父が突然消えるように亡くなり、これからどうしようと思い悩んでいた。そ の当時は、まだシネコンもそんなにあったわけでもなく、映画産業そのものが冷え込んでいた時代。ボロボロのピンク映画館で1人、映画の商売を続けるか、や めるか決めかねていた。そんな時、洋画のピンク映画の営業マンとして、ある男がやって来た。父が死んで自動的に社長になった僕としては初めての対外的な仕 事相手。その時の印象は、(今でもあまり変わらないが)、トッポイお調子者といった感じ。それが叶井俊太郎との出会いだった。今では映画業界で知らないも のがいないほどの有名な企画・宣伝マン。ゲロゲロのホラー映画と思い込み、勘違いして買って輸入したフランス映画「アメリ」が大ヒット。「日本沈没」がリ メイクされたら「日本以外全部沈没」作っちゃったり。「エビボクサー」「イカレスラー」「コアラ課長」わけがわからないけれど面白い映画作ったりと大活躍 している。そして彼の企画最新作が「ヅラ刑事」。モト冬樹が主役の刑事が、かぶっているカツラを投げ飛ばし犯人を捕まえる奇想天外なストーリー。実際よく もまあ、こんな映画ばっかり作るもんだと、あきれている僕もこうして自分の映画館で上映するのだからどっちもどっちだけれど。
13年前、仕事の話は何を話したかは忘れてしまったが、今でも覚えている忘れなれない彼のことばがある。二人で昼飯食いながら、彼は僕に「谷田さん、映 画っていいよね。やめないでね。」ぼそっとつぶやくように言った。そのことばが今のシネマディクトになったようなきがする。それから死ぬほど大変な日々が 待っていたけれど。今でも僕は「映画っていいよね」って、言ってくれた彼に感謝している。

2006年12月24日

鉄コン筋クリート

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今、外国ではクール・ジャパンといって日本の食や文化がブームらしい。すし屋が世界の大都市では普通にあるようになり、それどころか、あんまり変な日本食 が横行するので、ちゃんとした日本食に、お墨付きをあげようとしたら自分のことは棚に上げ、異文化にちょっかいを出されるのを嫌うアメリカのメディアが、 異常反応をおこしているほどだ。そして“オタク文化”マンガ・アニメ・ゲームも世界中にファンがいる。その中でもアニメは、もはや本家日本も巻き込んで ボーダレスの世界だ。「鉄コン筋クリート」は、そんなアニメーションの世界で、今一番注目されているどころか、“この作品がこれからのアニメの指標とな る”とまで言われている作品。原作は「ピンポン」「青い春」など映画化されると何かと話題になる松本大洋の傑作マンガの映画化。義理と人情の架空の街“宝 町”で自由に飛びまわる2人の少年クロとシロの冒険をダイナミックに描く。監督のマイケル・アリアスは、もともとはコンピューター・ソフトの開発者でアメ リカのコンピューター・アニメの第一人者。じつはこの人、日本に来て、おもちゃ屋さんでフィギアを見ながら「おぅ~バルタン星人~」なんて日本語で言う正 真正銘のオタクなアメリカ人。その彼が原作マンガと出合って、どうしてもアニメ化しようと長年苦労を重ね、さまざまな人々に支えられてやっと完成したのが 「鉄コン」なのだ。アニメだけではないが、思い入れが強いほど、いいものが多いのは世の習いでもある。日本で生まれアメリカ人によって作られたアニメ映 画。映画の宣伝文句を専門用語でジャックというのだが、「大人の女性でも見て絶対裏切られない感動作」「映画館で見たことを自慢したくなる映画」ジャック も凄いや。

2006年12月1日

敬愛なるベートーヴェン

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昔から年末は、なんでこんなに忙しいのかといつも思う。御歳暮、クリスマス、 年賀状、大掃除、餅つき、しめ飾り、などなど。新たなる年を迎えるにあたって、 いろいろなことをしなければ日本人は年があけない。なのに、である。"フロィ デ シェーネル ゲッテル フンケン トッホテル アウス エーリージウム"。
知っている人は知っている、知らない人は、なんだべ、と思うかもしれない。第 九である。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートヴェン作曲の交響曲第九番 二短調 第4楽章の「歓喜の歌」の本国ドイツ語バーションをカタカナ表記したらこうな る。なぜか年末、日本ではたくさんの人が第九を歌う。日本語バージョンも、も ちろんあるけれど、やっぱりドイツ語でなくちゃ気分が出ない。年末で、みんな 忙しいはずなのに練習して、おめかしして楽しむのだからやっぱりドイツ語で" フロィデ シェーネル ゲッテル フンケン" なのだ。映画「敬愛なるベート ーヴェン」は、世界中にその作品を愛されながらも、生涯に渡り、孤独で孤高の 天才音楽家といわれたベートーヴェンの物語。傑作!第九ができた時のエピソー ドを、史実に基づきながらも、耳の聞こえないベートーヴェンの作曲した音楽を、 楽譜に清書する"コピスト"を女性とし、歴史に隠された師弟愛を超越した絆を描 いている。この映画を見たら、よりいっそ第九を、そしてベートーヴェンを知り、 好きになり、今まで以上に魂込めた第九が歌えるかもしれない。しかも、青森市 の友好都市であるハンガリー・ケチケメート市でロケされたというのだから、こ れは見なきゃ。

2006年3月5日

「歓びを歌にのせて」

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「歓びを歌にのせて」は、厳しい吹雪の冬が印象的なスウェーデンの映画だ。主人公のダニエルは世界的に名声を得ている音楽家。しかし、演奏で世界中を飛び 回り身も心もボロボロになり、ついに舞台で倒れてしまう。そして、8年後まで埋まったスケジュールをすべてキャンセルし、生まれ故郷の田舎に安息を求めて 移り住む。
そこで、静かな余生を送るつもりだった。だが、教会の神父にコーラスの歌唱指導を頼まれる。最初は嫌がっていた彼も、音楽の素晴らしさを改めて感じ、自 分の作りたい音楽を目指すようになる。コーラスの人々もまた、それぞれに問題を抱え生きていたが、ダニエルを通し、音楽から勇気をもらい人生の一歩を踏み 出す自信を持っていく。
映画の中で手をつなぎ、みんなで歌っている人々の顔は、とても幸せそうで、演技を越えて音楽の素晴らしさが伝わってくる。苦しみの中で受ける感動はとて も深く、貴い。歌は人々に希望を与え元気をくれるものだと気づかせてくれる。悲しい時、つらい時、楽しい時、うれしい時、人間には歌がある。
本国スウェーデンで大ヒットを記録し、さらには昨年のアカデミー外国語映画賞ノミネートの快挙を成し遂げた珠玉の一本。監督のケイ・ポラックは、このド ラマチックな物語には、特別な光があふれる夏と吹雪で覆われる厳しい冬とのコントラストが必要不可欠だと、スウェーデン北部でこの映画を作った。
青森もまた、その地に似て厳しい冬とねぶた祭りを代表する熱い夏がある。そう思うと、今年も雪で大変だが、この街もわるくないなと思う。

2006年2月18日

アカデミー賞

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この季節、正月映画の狂騒が終わり映画業界はアカデミー賞の季節。年末あたりから予告編やポスターに「アカデミー賞最有力」の文字が躍り、みんな最有力候 補の勢いだ。ノミネート発表後に、選考から漏れてしまって急いでポスターや映画の予告編を差し替える、なんてしゃれにならないこともあるけれど、とりあえ ず話題はアカデミー賞なのだ。
でも、今年のノミネートの面々を見ると正直、地味というか、アカデミー賞らしくない。最多ノミネートがアン・リー監督の「ブロークバック・マウンテン」。
次いで「クラッシュ」と低予算の独立系作品が主にノミネートされている。ストーリーもカウボーイの同性愛の話や、人種差別の愚かさなど、作品的には悪くはないのだが、これまでのオスカーレースでは考えられない作品が主役。
メジャー作品もカントリー歌手ジョニー・キャッシュの生涯を描いた「ウォーク・ザ・ライン/君につづく道」、スピルバーグ監督の「ミュンヘン」がノミ ネートされてはいるが、こちらも地味。かろうじて「プライドと偏見」が華やかな作品としてノミネートされたくらいだ。
今、ハリウッド映画は過渡期をむかえている。マーティン・スコセッシやジョージ・ルーカスなど大作を作ってきた監督たちが、もう制作費が100億円を超 えるような大作は作りたくないと言い出しているし、興行的にも下降線をたどっている。いまここにきて、粗製乱造のつけがまわってきた感じだ。
だが、ハリウッドが、このまま終わるわけがないと思う。その点、今回のアカデミー賞は、ある意味、新しいアメリカ映画のターニング・ポイントなのかもしれない。

2006年2月3日

プライドと偏見

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「プライドと偏見」はイギリスの女流文学の最高峰、ジェーン・オースティンの名作の映画化。18世紀末のイギリスが舞台。絵画のような田園風景や壮大なお 城の数々でのオール・ロケで“結婚“がテーマの乙女心をくすぐる映画なのである。物語はプライドが高いがために正直に「愛している」と、なかなかいえない 大富豪の青年と、気が強く純粋がための偏見が、本当の愛を曇らせてしまう主人公エリザベスの恋の物語。主演は、今最もハリウッドで輝いているキーラ・ナイ トレイ。純粋でノーブル、そしてはじらいがある演技は、ゴールデングローブ賞の主演女優賞にノミネートされた。「ブリジット・ジョーンズの日記」「ラブ・ アクチャアリー」を製作したスタッフが時にはユーモラスに、時には格調高く、二人の恋の行方をいきいきと映し出している。原作者オースティンは「結婚と は、自分の本当の心を見つけること」といっているように、時代が変わっても「結婚」という言葉の憧れは今でも変わらない。「プライドと偏見」、それを捨て 去ったとき二人に幸せが訪れる。この映画は、そんな心ときめく憧れの映画なのだ。かくいう私も結婚してもう20年もたつが、いまだに手をつないで歩いてい る。そこには「プライドも偏見」も存在しない。存在するのは信頼と少しばかりの畏れ。時に人はそれを愛とよぶ。

博士の愛した数式

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「博士の愛した数式」の主人公は不慮の交通事故で、記憶が80分しかもたない寺尾聡扮する天才数学者と彼を世話する家政婦、そしてその息子の物語。博士は 記憶がなくなり何を喋っていいか混乱した時、言葉の代わりに数字を持ち出す。友愛数を「神のはからいをうけた絆の数字」。√は「どんな数字でも嫌がらずに 自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号」なんて言い方をして、数式は美しく、キラキラと輝く素敵な世界なのだと教えてくれる。原作は小川洋子の100 万部を超えるベストセラーの映画化。本屋が読んで欲しいと願い、誇りを持って薦める本に贈る第一回本屋大賞を受賞している。原作の潔い、敬う、慈しむ、毅 然などの美しい日本語を映像として表現したのは「雨あがる」「阿弥陀堂だより」の小泉堯史監督と、巨匠黒澤明監督の流れを汲む人々。厳しくも優しい、人を 愛することの尊さを問いかける日本映画。フィクションみたいな残酷な現実が日々起こっている今、この映画はいつまでも心に残る暖かく優しい気持ちにさせる 感動作。なくなりそうな日本人の心をもう一度考えさせてくれるそんな映画なのです。

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