2003年5月4日

「メンテナンス!メンテナンス!ヤホー!ヤホー!」

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 6:22 PM
さあ暗闇の中はじめましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メンテナンス!メンテナンス!ヤホー!ヤホー!

なぜか、とてもテンションが高いのはわけがあります。
東京からビクターの技術陣!がシネマディクトの映写機と音響のメンテナンスにやってきました。映画の上映が終わってから(正確にはちょっと前から)4台あ る映写機をまずはギヤの部分のオイルを抜いて新しいオイルと交換。フイルムのミシン部分をきれいに掃除して、キセノン・バルブ(映写機の電球です)とミ ラーとレンズを磨き、ほこりを取ります。オプティカル(映像)部分ではシャッターのチェック、画面のチェックをテストフィルムをかけて(TVのテストパ ターンみたいなやつ)ビスタ・シネスコ・スタンダードの枠のチェックをします。電気系統は、たくさんあるリレーの交換・点検とパイロット・ランプの交換・ 点検をしてます。そして音響のチェックまずはドルビーのプロセッサーを開けSRのチェック、SRDのチェック、SRD・EXのチェック、DTSのチェック &調整、ランプの取り替えとスピーカーバランスのチェック・調整と終了したのがAM5:30。白々と夜が明けていました。おつかれさんでした。もちろん僕 もいました自分にもお疲れさん。

ドルビーの点検・調整。

DTSの調整。

劇場内でスピーカーのバランス調整。

SR-D・EXの内部、これで微調整をします。

 

2003年3月1日

「たーびまかせー・・なわけないでしょ!」

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM

 

 やってきました東京出張。AM6:30起床。昨夜遅くまで「マーサの幸せレシピ」のテスト・ランをしていたので眠い。おなかの調子もイマイチなのでビオ フェルミンを飲む。AM8:05車で空港へ。JAS162便・座席22H。青森は快晴、東京は明日雨の予報。富士山曇りでちゃんと見えず残念。定刻に羽田 着。そのまま京成で東銀座へ11:40着。歌舞伎座向かいクイントビル6FUIP営業部にバッグ置いて宣伝部に行き担当者へ「ボーン・アイデンティ ティー」と「レッド・ドラゴン」のパブのVを提出。その後これからの作品の素材をもらっていく。営業部に戻りIさんと竹葉亭にて昼飯。僕はいつものように 「鯛茶」、Iさん「うな丼の上の大盛り」。
めしの後、近くのパーラーでお茶しながら、この後のラインンナップと写真の流れやその他の話。まあ、これからいろいろ大変です。3時から五反田にあるイマ ジカの第一試写室で「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」の試写。「混むから早めに行ったほうが良いという」ので早めに山手線乗って五反田へ。じっさい 早い時間で満員になった。写真はみごとなくらいの往年のプログラム・ピクチャー的なテイストでディカプリオは「ギャング・オブ・NY」より、こっちのキャ ラクターの方が僕は個人的にはあっていると思う。5:30終了。そのまま地下鉄に乗って京橋へ。映画美学校第一試写室で「春の惑い」試写。その前に向かい に“スタバ”があったので「カプチーノ」と「サーモン・クリームのサンドイッチ」買って行く。美学校はエントランスで飲食ができるからありがたい。試写の 「春の惑い」の配給元、大映角川の担当営業の人が受付にいて、あいさつされた「わざわざ見に来て頂いて」と感激される・・
まずい(深い意味ではアリマセン)・・・。先に席を確保したほうが良いといわれたので席に荷物置いてから、食事済ます。サンドイッチ食べながら次々訪れる お客さんを眺めていたら結構見たことある顔の人たち。某有名映画評論家の人が、関係者がキープしている席の位置が気に入らないようで受付のおねーチャンに 「せっかく早めに来ているのになんなんだ」と、怒っていた。映画美学校は壁がアイボリーで統一されたシックな感じのおしゃれな建物で、地下の試写室のトイ レもアイボリーのドアにFとMの一字だけの表示だけで、ちょっと困った。この試写も早い時間に満員になり座布団まで登場。今日立て続けに二本めの試写なの で、ちょっと腰つらい。元シネセゾンのAさんがいた。帰り際に挨拶する。作品は淡々とした静かな中国映画。後からじわじわ感じる大人の映画です。腰が悲鳴 を上げたので銀座まで歩く。歩くと痛みが和らいでくる。一人で歩く夜の銀座は、ちょっと寂しい。まだホテルのチェックインもしていない。途中有楽町の阪急 で娘のお土産に頼まれていたポストペットのコモモの弁当箱をMIXに買いによったが、注文の品がなかったので帰る。この後も電車乗り継いでホテルに行くの も面倒くさくなったのでTAXIで半蔵門のダイヤモンドホテルへ。今回もいつもの6階イギリス大使館の見える部屋。本日のお仕事終了。

水天宮

 20日朝7:00起床。天気悪し。風呂に入ってから朝飯食ってから8:30早めにチェックアウトして地下鉄に乗って人形町の水天宮へ。生涯の悪友、絵描きの中村圭一郎と“腰”の話してた時、「おめー娘生まれたとき、ちゃんとお礼参りしたか。
ちゃんとしないと腰に来るらしいぜ」と言うので、お礼参りしたと思ったけど、気になるのでお参りにいく。冷たい雨が降る中“東宝東和“のお歳暮の折りたたみの傘をさして10数年ぶりに水天宮様にお参りした。
まだ配給会社を回るのには時間があるので人形町界隈をうろつく。この界隈は昔、敬愛する三木のり平さんが生まれ育った場所で昔の江戸の匂いがする。甘酒横 丁でちりめん山椒やほうじ茶を買って、蛎殻町の魚久本店で魚の粕漬けを買う(ここは昔、西郷隆盛の住居があった場所だそうな)。残念ながら親子丼の玉ひで や天然物のタイヤキは時間が早かったので、まだやってなかった。その後日比谷線で銀座へ。ちょっとホテルを早く出すぎた。まだ時間がある。銀座のITO- YAのギャラリーで日暮修一の原画展を見て。山野楽器の店頭でJAZZフェアーセールをやっていたので、ついついCD3枚買ってしまう。セールに弱い私。 その後となりの木村屋2Fでアンパンセットをたのむ。ほのかに温かいあんぱんがおいしい。おっと、もうそろそろ11時。ヘラルドに行かなくちゃ。

銀座にあるヘラルドのビル

今年もいろいろ作品があります。トリフォーの特集やら、新しくフランスの会社からチャップリンの権利を新たに購入したとのことでチャップリンも面白そう だ。さあ次!予定ではアスミック・エースに行く予定だったけど電話したら会議に入っちゃたとのこと。後回し!変更してGAGAにTel。営業担当がいな かったけど前任者が電話に出たので「これから言っても良い?」「わかりました」日比谷線で六本木へ。雨風乱風の中GAGAへ営業担当のY氏いなかったけど 今回はGシネマが単独で営業もするというのでその挨拶。ついでに「ボーリング・フォー・コロンバイン」「裸足の1500mail」お願いする。お昼は六本 木チャコでランチ・ステーキ。十何年ぶりに食べるチャコのステーキはオイスィかった。リブじゃなくてNYカット食いたかったけど。2時。今度は日比谷線か ら丸の内線乗り継いで本郷の東大赤門の三軒隣にあるアスミック・エースへ。行ったらまだ会議中、少し待つ。会議終了担当のN氏とまずはピノッキオの話。そ の後ラインナップの話。「めぐり逢う時間たち」5月、その後「ヘブン」「ぼくんち」「アダプテーション」「フリーダ」とある。邦画も後一本できるかなー。 近くの日活は担当いないので寄らない。さあ今度は渋谷のアミューズだ。丸の内線から銀座線乗り継いで渋谷へ。アミューズがあるインフォス・タワーはケッコ ウな坂道の上にあるシンド!担当のNさんの新しく出来たラインアップの説明をうけてから「ジャム・フィルムズ」の日にち決める。さあ仕事終わり!帰るぞ! 銀座へ。かみさんのお気に入りピエール・マルコリーニでチョコ買いーの、一風堂でラーメン食いーの、京成(東銀座だから都営浅草線)で羽田へ。搭乗口1番 に行ったら天候調査中・・家に電話したら吹雪いてるって・・やな感じ。しかも携帯の電池もうない!まずい!やな予感。搭乗機まだ来ない。予定より大幅に遅 れて飛行機来た。でもまだ飛ばない。とりあえず飛んだ。よっしゃ帰るぞ!そしたら結構強めのエアー・ポケット!怖!けして快適でない運行状況で疲れている のに眠れない。まだかなまだかなと思ってたら機長からのアナウンスで前の便がまだ着陸してないのでそれを待って旋回しているとのこと、まだ降りれない のー。そして9時機長からのアナウンスで青森空港が閉鎖になったので羽田に引き返すんだと!!!なんちゅうこっちゃ!!どうするんずや!!
!。最初何の説明もないままザワツク飛行機の中これからどうしようかと考える。明日はFMの生放送が4時半過ぎにあるし、その後、松竹の営業担当の配置換 えで挨拶に来るし、「ギャング・オブ・NY」の楽日だし、「マーサ」とコンピュータのセットもあるし(出張前にテストしていてよかった)、どうしても帰ら なくちゃ。しばらくして前の便がオーバーランしちゃって空港閉鎖になったとアナウンス。もうどうでもいや今日はもう新幹線もないし泊まりだ。羽田についた らアナウンスでそのまま待機して事務員が欠航証明付でチケット返すのでそれを受け取ってから降りろという。

そ れを受け取って搭乗口で迷惑料?2万円受け取り、すぐ家に電話して無事だということと、今日は東京泊まりを伝える。やばい電池切れた。空港のコンビニで携 帯の電池を買ってダイヤモンドホテルに連絡するも、いつも予約してもらっているMさんつかまらず。まずい!今夜寝るところを確保しなくては、中村圭一郎に 電話入れる。とりあえず新宿のNEW DAGで待ち合わせ。山手線で新宿に向かっている時、Mさんから連絡ホテル取ったとのこと。感謝。でも中村呼び出し ちゃったので、とりあえずホテルにチェックインしてすぐ新宿に。ダグでまずは白ビールをキューっと一杯うんめー。とりあえず今日のヤサ確保したし後は明日 早く帰るだけ、もう飲んじゃえ!
ダグから今度はゴールデン街のナミちゃんの新しい店“テ・タ・テット”へ、あいかわらず元気なナミちゃん新しい店の名の意味はフランス語で“さしむかい “って意味なんだって。サシムカイで赤ワイン飲んで話していたら、もう三時!こりゃ帰らなくては、中村は“カボシャール”の綺麗なネーちゃんと話し込んで いるので捨てて帰る。

ハヤテで帰る

6: 30起床。顔洗って、歯磨きして、チェックアウト。四谷駅で新幹線の切符買いそのまま中央快速で東京駅へ「はやて5号」の時間まで新幹線の改札前のレスト ランで朝粥定食を食す。「はやて」では、となりに和装のおばさんが窓側に座る。八戸からの「つがる」では後ろの席のサラリーマンがずーっと会社の愚痴をこ ぼしてうるさかった。眠いのに眠れない帰り道、僕は新聞読んで、マンガ読んで時間を過ごした。
長い長い三日間だった。

追記:FM生放送無事終了。次の日バスで車とりに空港へ。駐車料金は欠航に関係なく徴収するのだと!なんちゅうーこっちゃ。

2003年1月26日

「年賀状」

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
(写真1)

今年一発目の奈良屋通信は「年賀状」。奈良屋通信だから普通の年賀状じゃなく映画会社の年賀状コンクールといきましょう。
まず(写真1)2月8日ロードショーの「アレックス」を控えているコムストックのカードは代表的なハピニヤカード。「アメリ」で自社ビル買ったニューセレ クトは「ベッカムに恋して」などたくさん作品あります。テランはいつもいつもシブメの良品があり今井さんにはいつも資料送ってもらっているのに、いまだ 「ペダルデュース」以来なかなか実現しませんが今年こそテラン作品をかけたいと思ってます。「青い春」でお世話になったゼアリズ、(写真2)「エトワー ル」のキネティックは自社キャラクターのタマラがブラックな感じ出してます。インディの大御所ヘラルドはロード・オブ・リグ、WATARIDORI 、ファムファタールの3本。東宝東和はトゥーム・レイダー2とT3でWE WILL BE BACKだと。(写真3)GAGAのGグループはチャレン ジャー的なカードで。「LANDRY」のロボットはふわふわ・けばけばの印刷。セテラはこれもシブメの作品ラインアップ。松竹は正月第二弾のミブで一本出 し。(写真4・5)そして今年の僕の一等賞ハピニヤ・カードは「アメリ」のニューセレクトの別会社アルバトロスのこのカード!なんじゃこりゃ!と思わせ る、このジャック(コピー)の数々。めっくってみるとこれまた凄い作品の数々さすが古くは陰獣のNS普通が大嫌い試写状に命かけるこの感性大好きです。 (写真6)メジャーでは21世紀になっても20世紀フォックス王者の風格。ちなみにUIPはFAXでした。
追伸。(写真7)なぞのアメリさんからのハピニヤ・カード。クリスマス・カードも貰いました。でも誰なんだろう・・・。

(写真2)
(写真3)

(写真4)

(写真5)



(写真6)
(写真7)

2002年12月9日

「青い春」無事終了

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
(青い春のフィルム)

 「青い春」無事終了。7日土曜日次の上映地、岡山県に旅立ちました。
思えば今年の春(だったかな)ゼアリズの日下部さんからオファーを受けて即答し、その後プロデューサーの小林さんから新井君の舞台挨拶の話が来て、新井君 のマネージャーの藤井さんから「あんまりシャベリが得意じゃないのでよろしくフォローしてください」なんて言われたからどうしようとおもってRAB・ ATV・ABA・FM青森・NHKまで取材のだんどりしちゃった私としてはちょこっと不安でしたが、舞台挨拶前日にあった新井君は「新井浩文です。よろし くお願します」とちゃんとキッチリ挨拶できる好青年でした。
そして話をしたら「シャベリが得意じゃない」どころかこっちの質問を何でも応える「シャベリ得意ジャン」とおもわせるアンちゃんで「やっぱりもてるで しょ」なんてオジサン質問したら「役者もてなきゃどうしようもないでしょ」・・カッコイイじゃねーの。
その後、これからのことや映画に対しての熱き思いをきいて。いい役者になってくれたらいいなとせつに願う私です。
でも、その日は本当はそれどころではなかったことがあり、ちょっと疲れ気味でした。なんと「青い春」のプリント(フィルム)がまだ劇場にとどいてませんで した。何日も前から連絡して遅くても前日に届くという話だったんですが前に上映していた映画館が11月22日必着を書くのを忘れたために(しかも四国か ら)運送会社に調べてもらったら到着は初日の当日の早くても午前中!おいおい一回目の上映11:30からだよー!運悪く四国から大阪→仙台→青森と乗り継 いで来るために時間がかかるのだそうです。しかももう発送しちゃてるので、どうもなんない。さらにこんなときは悪いことが重なるもので23日は勤労感謝の 日で祝日。たくさん荷物が来るのに祝日で運送屋さんも仕分けとかする人少ないからどうなるかわかんない。・・・そんなこといわれてもこっちとしてはお願い するしかなく。事情を話してなんとか早く23日の10時までにフィルムを届けてくださいとお願いしました。
結局早めの連絡が功を奏して前日22日の夜に無事プリントが到着。心配していたゼアリズの日下部さんもホットしていました。
それも各中継所に最優先で配送してくれたからでした。西濃運輸さんありがとう。カンガルーは早い!とても親切で助かりました。
そして毎週金曜日夕方のFM青森イブニング・ゲイト、生放送ウイークエンド・シネマで「青い春」を紹介してから新井君を放送局におきざりにして(彼は弘前 の友人と一緒だったので)劇場へ帰り急いで「青い春」を編集してプリントをチェック。営業終了後にコンピュータと映写機、時間、など等の最終チェックを兼 ねたテスト上映。その日は「月のひつじ」「赤毛のアン」の楽日でもあったのでそのプリントのバラシ(つなげていたフィルムを元のフィルム缶に戻す作業)も しなければならず目が回るくらい忙しい夜だった。ふう・・

舞台挨拶当日。前々から話はあったが事務所の関係でオフレコだった松田龍平君が舞台挨拶に間に合うということで新井君空港に龍平君を迎えに行って一緒に来ますとの電話あり。11:30劇場入りの予定が30分押して12時から取材開始。
心配していたお客さんの入りも招待も含めて100人ぐらい来たので一安心。12:00に新井君龍平君を連れて登場。

(新井浩文君)
(松田龍平君)

最初はMONO・EXPRESS(ABA)の取材。帷子氏一人でカメラもインタビューもこなす奮闘振り。あんたは偉い!ちなみに彼はABAのプロデュー サーです。その後ATV楽天の取材。劇場の映画チラシをアナウンサーに指示出すメモがわりに使ったのは気に食わなかった。その間、松田君はTVカメラの後 ろで新井君を笑わせたりちょっとおちゃめな面を見せ。
「良い映画館ですね」と誉めてくれたり。映画の話をしたらとまらないくらい映画が好きで、これからの映画で何見たいと聞いたら「ギャング・オブ・ニュー ヨーク」が見たいそうです。(おーそうですか!)最後の東奥日報の取材時は新井君の隣で物静かに座っているおとなしそうな青年で、時々垣間見せるおとうさ んにそっくりなしぐさがとても印象的でした。
舞台挨拶は基本的に新井君主役だったのでほとんど新井君におまかせで、あのような形になりましたが本人も喜んでいたので良かったです。松田君も新井君の舞 台挨拶だからということで体調悪かったみたいなのにそれを押して青森まで来てくれたので感謝です。(最前列の女の子なんか感激して泣いてたもの)本当に仲 が良い友人なんだね。
今回は、なんかバタバタしてたので今度ゆっくり酒でも飲みながら映画の話をしたいものです。

2002年10月14日

温泉に行こう!

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
(八甲田をのぞむ)
(酸ヶ湯)

最近腰の調子がおもわしくない。腰痛には温泉がいい。そこで最近あちらこちらの温泉に行っている。その中でも一番のお気に入りは子供の頃から通い慣れた 酸ヶ湯温泉だ。シャンプーやリンスなどの風呂道具なんて一切持たない(使っても泡もたたないので使わないほうがいい。というより使えない)手拭一本で入る 温泉だ。 本当は10日ぐらい少なくても2・3日湯治するのが一番いいのだろうけど、そうもいかないので日帰りで八甲田山の自然を楽しみながら温泉に入りに行く。ス タンダードな八甲田・酸ヶ湯温泉日帰りというか温泉がメインの道行きは、通称「観光通り」を雲谷、今のモヤヒルズを経由して小学校の遠足の定番“萱の茶 屋”では“長生きのお茶“で一服、そして酸ヶ湯温泉に至る。

入浴料金は500円。無粋な自動販売機で入浴券を買い、ビニール袋に履物入れて混浴の大浴場に直行!ワイフは奥の 「玉の湯」と言う小さいお風呂へ。お風呂はまず手前に熱の湯から“かけ湯”をしてから入り、奥のほうのちょっと熱い「四分六の湯」に入った後、今度は「鹿 の湯」という打たせ湯へ、ここにはビニール袋が備えてあり打たせ湯のお湯が眼に入ると、とても痛いのでそれを頭にかぶる。僕はもちろん腰にお湯をあてる。 めんどくさいのでその場に寝てしまう。みんな悪いところに打たせ湯を当てるので肩や首にみんな当てているのだが、僕が寝そべって腰にお湯を当ててしばらく するとみんな寝そべって腰に当てている(みんな腰悪いのね)。そのあとまた「四分六」「熱」と入ってあがるのだがその前に流しで儀式がある。水のカラン (蛇口)のところに「この水を中心にかけると元気が出ます」と書いてある。それはかけなくては。一杯、二杯、三杯もかけるとあまりの冷たさにしびれてく る。元気になったかな?

(まんじゅう蒸かしの紅葉)
(まんじゅう蒸かし)

温 泉からあがったらおなかが減ってくる。そしたら必ずあきもせず雲谷そば。天ぷらそばを食べる。ここの天ぷらそばは「海老天そば」もあるけど安いほうの「天 ぷらそば」でないと僕は気分が出ない。腹ごしらえも済んだら酸ヶ湯温泉近くの八甲田ホテルのとなり、これまた腰にいい温泉施設、その名も「まんじゅうふか し」へ、温泉の蒸気を箱状の腰掛に通してそれに腰掛けてお尻を温める。まさにそのまんま「まんじゅふかし」(津軽弁で女性の局部を蒸かすという意味)。ポ カポカしてとっても気持ちがいいです。八甲田に来たら必ず行ってほしいスポットです。さてこの後は帰路です。途中山に唯一ある信号を左折して城ヶ倉大橋を 越え沖揚げ平の道の駅?で大根、白菜、にんじん、キャベツ、ネギなどのとっても安くて新鮮な高原野菜を買い、萱の茶屋の手前でエイトラインを右折、田代方 面へ。「後藤伍長」の銅像茶屋でおでん、くるみだんご、牛串焼きで一服。その後幸畑に抜け家路へ。時間があれば睡蓮沼、笠松峠、猿倉温泉、蔦温泉、奥入 瀬、十和田湖と行くのもいいです。


(城が倉大橋)
(沖揚平)
.(後藤伍長)

2002年9月3日

夏の終わり

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
(バサマ恐るべし)

今年の夏はずーっと雨、からっとした夏らしい天気がないままで終わってしまった感じ。それでもネブタは娘と一緒に浴衣に”ピンクのお腰””赤いタスキ””黄色のシゴキにガガシコ付けて”のトラディッショナルな正装でハネトとして参加した。
ほんとは6日に跳ねる予定だったが、柳町の観音様にお参りしたとき(青森空襲の 日)僕の前で拝んでた知らないバサマが「こどしのネブタ見できたばって、なんぼ鬼ばしいだば。ネブタ、鬼ばしだば雨ふるんでぃやー」!。
ムム聞き捨てならないお言葉。調たら大人ネブタ22台中9台も鬼がいる。
6日もし雨で中止にでもなったら7日しかないしかしナヌカ日は昼過ぎ一時から出発でお昼絶対仕事抜けられないので参加は無理、今年のネブタ跳ねれないと同じだ。
それはまずい。ということで4日(日曜日)に急遽跳ねた。

(ビニールかぶったねぶた)

偶然中学校卒業してから会ったことのない同級生にあったりして、お互いデカイ娘連れてそれをだしに40過ぎのオヤジがネブタに跳ねる。聞けば関東のほうで スーパーの店長をしてるという。こんな偶然も祭りならではの出来事。次の日(正確には二日目)からは体ぼろぼろ特に階段のくだりが苦痛の日々だった。
昨年から始まった一斉スタート・号砲一発で終了する方式は一部の傍若無人な若者を排除するためとはいえどうしても味気ない時間が着たら初めて時間が来たら 終わり。情緒もへったくれもない。「祭りとはいったいなんなのか」ということを考えることをもっと大人も子供も考えるべきだと思う。
ネブタばかりではないが、なんでも自由だということは良いことではないし、そんなことありえない。

(今年の一等賞)

ネブタも、どこの誰が言ったか知らないが自由に参加して楽しめる祭りだと思ってなにをしてもいいみたいな考え方の人が多すぎる。僕が小さい頃はそれぞれのネブタの団体は、そろいのユカタでないと跳ねられなかったものだ。
みんな祭りを大事に大事にしていたし。ネブタまで指折り数えて楽しみにしてた。
新しい試みは若い人にも受け入れやすくやり易いのかもしれないが、昔から伝統を守り受け継いでいくのも大切なのではないだろうか。
昔からの津軽の言い伝え?ネブタ終わって、盆終わったらもう、秋きて、すぐ雪降るんディヤー・・
青森の短い夏のおわり。そのわりに9月になったら残暑だけど。

2002年7月12日

音響の話

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM

 最近シネマディクト館主としての悩みというか、こまったことが劇場の音響についてで、「音がでかすぎる」「もっと低くしろ」とクレームをつけるお客様が たまにいます。OPEN当初は、まだ映画のデジタル音響に慣れない年配のかたが結構「うるさい」「音量が大きすぎる」とよくいわれたのですが。最近若い人 たちも「うるさい」といわれます。でも少しだけ我慢して欲しいのです。確かに音でかいです。
あるひとから青森で一番"でかい"音出す映画館といわれました。でもただ単に"でかい"わけじゃありません。
映画を上映するにあたって劇場の大事な部分に音響設備があります。
1970年代から続いた光学録音のドルビーステレオもドルビーステレオSRと進化して来ましたが、1990年代にはいるとサウンドトラックのデジタル化の機運が高まり、現在までに4社による開発、発表がされています。
Cinema Digital Sound (CDS)KODAK社とORC社の共同開発による方式この方式は音源を記録するフイルム・ポジションが現在も使用されているアナログ・サウンド・トラッ クやドルビーSRと同じ場所に音源を記録していたため互換性がなく普及せず開発が中止され使用されていません。

(DTSのロゴです)


DTS

デジタル・シアター・システム社が開発した方式で最初日本の松下電器の技術協力もあり当時その傘下にあったユニバーサル映画が採用したデジタル方式です。 他社と大きく違うのはCD-ROMが音を再生する方式でフイルムにはそれを制御する信号が記録されています。

SDDS
ソニー・ダイナミック・デジタル・サウンドの略で日本のソニー社が開発した方式。ソニーが親会社の旧コロンビア映画、現ソニー・ピクチャーズが主に採用したデジタル方式です。

SR-D
スペクトラム・レコーディング-デジタルの略です。ドルビー研究所の開発による方式で他の2方式(DTS、SDDS)が開発した会社がその傘下の映画会社 に影響力を及ぼしたのに対し、ドルビー社はその前に普及していたアナログ・サウンド・トラックから進化したSR音響がすでに普及しておりそのSR音響が他 のデジタル同様デジタル再生時のバックアップとしての役割も生じたことも手伝い作品的には一番採用されたデジタル方式といえます。

(DTSのコンピュータ部分です)

デジタル音響が普及しだした当初(ちょうどシネマディクトがオープンしたくらいの時)映画によってデジタルの方式がユニバーサルならDTS、コロンビア (ソニー)ならSDDSといった方式だけ一種類だけ採用した映画や、DTSとSR-DとかSDDSとSR-Dといった二種類の方式を組み合わせた映画など がありシネマディクトではSR-DとDTSの2方式を採用しました。
この二方式あれば当時の大体のデジタル音響が再生できるからでした。でもハードがそろっていてもそれだけで良いという訳にはいきません。音響に興味がある人は知っていると思いますが劇場の中は箱なので音がぶつかり合って残響がおきます。
またうちは劇場が二つありますがこの二館の音が干渉しないように、二階が耳鼻科の
医院ということもあり防音についても残響についても設計の段階からちょっとやり過ぎたくらい気を使いました。その結果ドルビーSR-Dのレベル7で上映し ています(というか上映できますと言ったほうが正確)。これは上映の音響レベルの基本です。

(これでSR-DとDTSのフイルムの信号をよみとります)

この前上映した「マルホランド・ドライブ」のD・リンチ監督は3デシベル上げろ(きもち上げ)、フレームもちょいあげの指示が手紙で来ていました、ちょっ と前の「プライベート・ライアン」の時のスピルバーグなどは上映に際して映写の指示のビデオまで送りつけています。作り手のイメージどおりに上映するのは 劇場の基本と僕は思っているのでほんの少しだけ我慢してください。日頃耳にしない大音響でも慣れてくると快感に変わります。
でも問題もあります。それは予告編。映画本編の他に予告編もデジタル音響が作られるようになりテレビCMと同じで本編以上の大きい音で映画会社ごとの競争 になっているということ。アメリカではすでに製作会社、配給会社と音響会社およびMPAAなどの諸機関が集結してTASA(トレイラー・オーディス・スタ ンダード・アソシエーション)という音量基準を決める機関を設置して全米で適用しているのですが・・・(こんなところはアメリカという社会は凄いと思う) まだ日本は音量競争が続いています。日本も早く何とかならんものかと思っております。

2002年6月2日

ハードだべ!

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
 

それは17日の金曜の朝から始まった。
劇場に行ってパソコンつけてFAXチェックしてコーヒーメーカーのスイッチを入 る。その後映写室に行き映写機とプリントのチェックをし仕事が始まる。そこまでは 今までと変わらない、いつものような朝の風景だった。でも郵便屋さんが郵便を届け てくれてからいつもの日常がドラスティックに変化した。毎日届くたくさんの郵便の 中にまるで”不幸の手紙”みたいな”黒い郵便”(写真1)「スターウォーズEP2」 の試写の招待状だった。さっそく開けてみると4日後の21日!しかも朝8時!!会 場8時20分上映?!EP1のときも朝だったから覚悟はしてたけど4日前に届くとは ・・・。朝8時だと前日に東京に入らなきゃ当然試写には間に合わない。でも前日の 20日は青森県環境生活興行同業組合という無駄に長ーい名称の映画館の組合の年次 総会が午後4時からあり電話したらどうしても出ろという。しかたないので久しぶり に夜行寝台の切符買った。(そういえばエピソード1の試写も前日組合の総会でその まま夜行列車に乗って上京したことを思い出した。)20日は会議やって理事長きめ て、副理事長にさせられて(それでどうしてもでろっていってたのね)チャンチャ ン。その後飲みで適当にのんで「ハイ・サイナラ・ホナ・いってきまーす」とみんな に送り出され。青森駅に9時6分発の”はくつる”に乗りワイフの作ってくれたおに ぎり食べながら約10時間寝台車にシェイクされて朝6時39分に上野につい た。

そのまま山手線で有楽町へ、朝7時日本劇場改め日劇1。やっぱりもう並んで る(写真2)8時ちょっと前に会場。うわさではEP1同様あまり試写しないそうなので、おもだった批評家・評論家・タレントみんな来ている。映画そのもの は内容はい えないけど、別にアナキンとアミダラのラブストーリーを前面に押し出す必要があっ たのか疑問。スターウォーズ大好きな映画好きの一人としては、キャラいっぱいでて るし、ヨーダたちジェダイが大活躍するちゃんとした?スターウォーズです。やっぱ りスターウォーズは特別なのです。上映時間2時間22分ちょっと長い。その後歌舞伎座向かいUIPに行き秋から来年の春までの話。その後お昼に竹葉亭でお 昼ちなみに僕はウナギではなく鯛茶を食べました(死ぬほどうまい)。午後1時UIP試写室にて今年のオスカーでも話題になった「in the  bedroom」満員。夜行に揺 られ朝っぱらから映画みてその後ごはんおもいっきり食べた後の「in the bedroom」はつらかった。なにせ、前半のたんたんと続く普通のアメリ カの家族の 日常を描き死ぬほど睡魔に襲われたが一発の銃声からすっかり映画に魅せられた。名 作です。ところで前に水野晴男さんのボノゴのことを書きましたが今回この試写で石原義純(都知事の倅)のボノゴがありました。考えてみると結構有名人のボ ノゴ私みてます。

これも2時間こえる作品でした。シシィ・スペイセク、トム・ウィルキンソン、マリ サ・トメイ良いです。その後築地の松竹→六本木のFOX→となりのGAGAとまわりこ の日三本目の試写会場京橋の映画美学校へ。凄く込んでいるので早めに会場に行って く れとの話だったので30分前につく。もう並んでる。作品は「ピンポン」すごーく面 白 かったです。シネマディクトでは8月3日公開決定しました。青森県ではディクトだ けの公開です(たぶんアメリの例もあるので断言できん)。PM8:30に定宿の半蔵 門にあるダイヤモンドホテルにチェックイン荷物解いてその後、親友モーミンと待ち
合わせ の新宿キャットへ行ってDUG行って、ゴールデン街のカボシャールに行ったらやって ない ”ナミちゃんまた仕事しなくなったのかなー”そのあとNEW DUG行ってつかれたので 早め に?帰る。就寝たぶん1時半ごろ。
次の日。朝7時半起床。風呂は行って早めにホテルを出る。AM9時半頃、本郷の” スタバ”で朝飯。アスミック・エースに行くにはまだ時間があるので東大の赤門界隈の古本屋のぞいたりうろうろした後AM11時ごろ赤門のすぐ近くにあるア スミックに行 く。
ほ とんど「ピンポン」の打ち合わせ。その後の番組の話も少し。AM11:50日活ルーヴル以降の話。今年のカンヌに出した「10ミニッツ・オーダー」はとて も面白そう なんとベルトリッチ、ゴダール、ジャームッシュ、チェン・カイコー、スパイク・ リー、 ヴェンダースなどの監督が”時”をテーマに短編を製作して一本の長編にまとめ上げ る 世紀の話題作!すっげー!その他ガトリフの新作やらetc。来年もお世話になります。
PM1:30渋谷のアミューズ。アミューズのケイト・ブランシェット!野口さん札幌 出張でいない でも変わりに金子さんと「バイオハザード」の打ち合わせ。最初題名聞いてゲームのイメージで殺しまくりのゲロゲロだと思ってたらミラ・(パーフェクト) ジョボビッ チが思いのほかカッコいいので考え直す。その他「ラッキー・ブレイク」と今年のカンヌでパルム ドール獲った ポランスキーの「戦場のピアニスト」の話。などなどなど。PM3時月島のムービー・ テレビジョン にて「きれいなおかあさん」の打ち合わせ。ここの菊地原さんは日本酒以外は酒飲む と いっさい口にしません。すげー酒強いです。人造人間みたいです。前に「ディープ・ スロート」 と「ミス・ジョーンズの背徳」など往年のグローバル・フイルムの話を聞いてとても 面白く 参考?になりました。さてハードな東京出張も終わりと思ったら、同じフロアにキネ ティック が・・ついでに寄ってコ。電話でしか話したことがない人と会うのはちょっとドキド キします。
残念ながらキネティックの笹岡さんは男性なのでワクワクはしなかったけど想像してたのと ちがいヤサオトコ系のイイ男でびっくり。そんなことどうでもいいけど「エトワール」は楽しみです。

そんでもって仕事終了。銀座で娘のお土産買って京急で羽田へJAS無事飛んで着いて 家に帰ったのがPM8時半、9時過ぎに劇場に行く。Laundryの編集して営業終 了後 テスト自由になったのはAM1時。でもすぐ眠れず。2時ごろ寝る。
次の日の昼札幌に全興連のため行く。次の日シアターキノによって中嶋さんの話を伺い とてもとても参考になる。まだまだわたしはなってません。勉強しなおします。
そして帰路青森へ。これでハードな日々は終わるのかと思ったら大間違い。この日は楽日の 金曜日。青森着いて劇場行って映写機から「とらばいゆ」外して「Laundry」着けて コンピューターのプログラム組んで予告編集してやっとお終い。
終わったどー。ハードだべ。ふー。

2002年4月8日

うちのオスカー君

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM

 

 

うちのオスカー君は働き者である。
 なんてったって、もう6年間もアカデミー賞の発表があるといつも最優秀作品賞を獲 得し た映画のポスターの横に寄り添って黄金の勇姿をあらわす(だいぶ色褪せてきたけ ど)。
彼がシネマディクトにやって来たのは6年前の春。今は無き配給会社!松竹富士から やって来た。担当セールスの奈良さんは、アンパンマンみたいな人で、いつもニコニ コしてて、東北に出張なんてすると営業部長が電話してきて「うちの奈良来てない? どこいったんだアイツは」と会社から探されてる鉄砲玉の如くの、まだ若いのに昔の 映画セールスの匂いのする人でした(あとで聞いたら骨董が趣味で各地の骨董屋をめ ぐっていたらしい)。その松竹富士の奈良さんがシネマディクトに最初に売った映画 が「イングリッシュ・ペイシェント」アンソニー・ミンゲラがミラマックスで作った 作品。
シネマディクトとしては平成9年3月15日にオープンして以来6本目の作品で5月3日の初日でした。

映画館に行くとボール紙で作られている映画のポスターに似たデカイ立て看板が置い てありますが、これを”スタンディ”といいます。U・I・PやFOXなどのメ ジャーはアメリカで大量に作ってますから数種ある宣伝材料のなかでもこれは”た だ”でもらえますが、 松竹富士は独立系(インディペンデント)で製作会社のミラマックスも独立系という こともあり最初はスタンディなしでした。そしたら奈良さんから電話来て「アカデ ミーなんか獲りそうだからスタンディ作るんだけど、そっちもちで実費2万円だけど 買う?」と聞かれ「買う」と答えました。そして送られてきたのが「イングリッシュ ・ペイシェント」のスタンディ。他のメジャー作品の凝った作りとは違いポスターを 大きくしただけのスタンディでしたが、これには別にアカデミー賞発表前にもかかわ らず”でっか く”「受賞!」の文字とオスカーが後付けされるようにできてました。奈良さん電話 で「オスカー獲ったらつけてね」「もし獲らなかったらどうすんの?」と僕。「いっ ぱいノミネートされてっから絶対大丈夫!」と奈良さん。毎日のように電話がきて受 賞の発表が近ずいてくると「まあなんか引っかかるでしょう」「でもシャインもいい せんいってるかもねー」「けっこうシャイン人気あるんだよね・・」とだんだんトー ンダウン発表前日になると「やっぱシャインが作品賞かなー」って「どーすんのオス カー」といいながらしっかりKUZUIと「シャイン」のブッキングを済ましている 僕でした。

その後、「イングリシュ・ペイシェント」は最優秀作品賞をはじめ、監督 賞、助演女優賞、美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞、オリジナル作曲賞、音 響賞のなんと計9部門も受賞! 奈良さんも「ね!♪獲ったでしょ!大丈夫って言ってたじゃない!♪」 おいおい。
それから「イングリッシュ・ペイシェント」のスタンディは上映終了後なくなりまし たが、オスカー君は捨てるのにしのびなく、その後もずーっとシネマディクトにいま す。
なんかここまで来ると彼がいるからシネマディクトのブッキングの作品がオープン以 来ずっと最優秀作品賞に輝いているのかなーと思ったりして。

2002年2月21日

水野晴男のボノゴ・・試写室で

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM

先日東京に出張して3本試写を見てきました。最初は東銀座の歌舞伎座の向かいにあるユナイッテッド・インターナショナル・ピクチャーズ・ファー・イース ト(長いのでUIPと言います)の試写室で今年のオスカー・レースでなんか獲るであろう・個人的には獲ってね!の「ビューティフル・マインド」 監督 ロ ン・ハワード、主演 ラッセル・クロウ、ジェニファー・コネリー。
話題作だけあって試写室は満員でパイプイスも出て盛況の試写でした。
そういえば「恋をしたシェイクスピア」の試写もこんな感じだったなと思い出しながら(シェイクスピアの時はとなりにNHKの久保順子アナが座ったんで多少緊張してみたんですが、今回は知らないおじさんだったのでたっぷり映画を堪能しました。)
ロン・ハワードはうまいなー!ツボ知ってるよなー!と思いながら 最近難解な筋書きの映画が続いたのもあるのか起承転結がしっかりして感動と涙の素晴らしい映画でした。なんてったってジョン・ナッシュという「ゲーム理 論」というのでノーベル賞もらった数学者の実話で、数学と聞いただけで笑うしかない僕としてはそれだけでも映画の題材になるんかいなと思うのに、その上分 裂病に悩むというおまけつき。それをみごとに感動と涙と希望と愛に包み込んだロン・ハワードは凄い!
思えば僕は彼の「アメリカン・グラフティ」などの役者時代からのファンで、監督になっても「アポロ13」「コクーン」「バック・ドラフト(この映画の主題 曲「料理の鉄人」が使ったため鉄人の曲だと勘違いしてる人多いです、また最初のドルビー・デジタルが普及した映画です)」などの名作を作り、日本の監督で いえば黒澤や小津ではなくマキノ雅弘や稲垣浩的な監督といってもいいのではないでしょうか。
次はUIPのすぐ近くで築地にある東劇ビル松竹本社の試写室でアスミック・エースの 「バーバー」。昨年のカンヌ映画祭で最優秀監督賞に輝いたコウエン兄弟の新作です。 試写には社内試写やマスコミ試写などの各社の試写室でみる試写と、大きな劇場やホールで監督やスターが舞台挨拶をやる完成披露試写があります。今回は社内 試写だけでした。試写室ではいろんなマナーがあります。時間厳守、飲み食い厳禁は当たり前です(前に某赤坂のTV局アナで今はフリーの人ですがマックの袋 抱えてシェークすすって入ってきてヒンシュクをかったバカモノがいました)。かわったとこでは、なぜか一番前の列の席は映画評論家の席となってます。だい ぶ前イマジカの第一試写室で定刻の一時を過ぎても映画が始まらなかったので”おかしいな”と思っていたら舞台のソデの入り口からまるで水戸黄門の助さん格 さんみたいにおすぎとぴーこを従えた淀長さんが登場した時はびっくり仰天しました。そして最前列の一番真ん中にお座りになり両脇におすぎさんぴーこさんが 座って、まわりの評論家連中が挨拶して、やっと映画が始まりました。映画は「ロスト・ワールド」!しかもたぶん日本で一番音響もいいであろうイマジカの THXお墨付きの第一試写室だったんで映画が終わってなんかあったら大変だと思いつつ「記念になるな」なんて不徳な考え持ったりして・・ごめんなさい。実 際凄い音だったにかかわらず淀長さんはニコニコしてお帰りになりました。

 さて「バーバー」の試写です。僕は前から二列目の真ん中に座り上映を待ってました。その日が「バーバー」の最初の 試写でアート系作品ということでもありあんまり混んでなく 最前列は誰も座っていません・・・5分前までは。試写の前にトイレに行って席についてもう少しだなと思いながら入り口の方に目を向けると”あっ水野晴男さ んだ”と思いながら嫌な予感!!
案の定映画評論家でもある水野晴男監督は僕の目の前最前列の真ん中にドカッと座りました!今の洋画の字幕は画面の下に普通ありますがおかげで僕は約二時間 水野さんのボノゴでちょうど真ん中が見えなくなった字幕とつたない英語力で「バーバー」を見ました。映画はノスタルジックなモノクロの映像とビリー・ボ ブ・ソートンの演技が往年のハンフリー・ボガートを思い出させる渋い作品でしたがそこはコウエン兄弟なんで・・・あと秘密。それと愛煙家の方は二時間覚悟 して見ないといけません。タバコを吸わない僕でさえあまりにもビリー・ボブ・ソートンが常にタバコをくわえているのが気になったくらいですからタバコ飲み には違う意味で「たまらん一本」です。

三 本目は「ヒューマン・ネーチャー」昨年公開した「マルコビッチの穴」のスパイク・ジョーンズとチャーリー・カウフマンがビョークのミュージック・クリップ で注目を浴びたミシェル・ゴンドリーを監督に迎え、前作以上にわけがわからん凄い作品になってます。今回は社内試写・マスコミ試写が終わってたので雑誌の 「CUT」が主催したアンケート試写に割り込んで見せてもらいました。
一般の応募からの試写会なんでまえもってアスミックの宣伝の人に連絡して並んでる人々をよそにちょっとズッコイ感じ、ちょっと優越感の気持ちで名刺渡して 係りの人が取っておいてくれた席に座りました。場所は京橋の映画美学校の試写室でアート系の試写室持ってない会社がよく試写をやります。戦前の建物だそう で(一説にはGHQが占領後施設を使うため爆弾を落とさなかったとのこと)エントランスには飾らない木の椅子とテーブルがたくさん置いてあり、そこで試写 前に若い人たちがそれぞれ買ってきた食事や珈琲を飲んだり食べたりして素敵なアールデコ調の大理石の空間です。
でも試写室はキネットのイスでSR-Dもある新しい設備です。感想は「マルコビッチの穴」も凄かったけど今回はもっとわをかけて凄いです。そして笑いま す。夏前には上映できると思いますがまだわかんないです。そして今回の出張は終わりました。でも映画ばかり見てるわけじゃなく、この間に何社も配給会社の 営業の人と打ち合わせやらあーでもないこーでもないといろんなことを話すのでとってもハードです。そういえば今回は映画見なかったけどアミューズが渋谷の ユーロスペースの下に自前の試写室を作ったのでそれも見てきました(忘れてた。)「メメント」と「キリング・ミー・ソフトリー」の予告とSR-Dのトレー ラー6種類!(そんなにあったのか!)上映してました。その他に夜も個人的なときもあれば、いわゆる単館系の合同飲み会的な会もあり銀座・渋谷で飲みなが ら映画についていろいろ語りますのでとってもハードなんです。嫌いじゃないけど!

バーバー試写状

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