がまんできない
朝コバヤク八甲田。紅葉の季節。行かなきゃ。愛犬花子も行くきまんまんでついてくる。スゲー人。土日だとどうなるんだろう。
フランスで最も愛された歌手、エディット・ピアフは子供時代、貧困の極みの中で、母親に捨てられ、娼婦たちと生活を共にした。
その後、大道芸人の父と一緒に旅回りの日々を過ごし、路上で歌を歌い糊口をしのぐ。
今風に言えば、ストリート・チルドレンでありストリート・ミュージシャンだった。
そこから、パリの名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレに見出されフランスを代表する歌姫エディット・ピアフになっていく。
喜び、悲しみ、人生のすべてを包み込むような愛の歌を歌ったエディット・ピアフ。
その歌の後ろ側には、他の人が経験もしなかった、さまざまな悲しみや苦しみが潜んでいた。
だからこそ誰かを愛し続け、傷つき、孤独にさいなまれ、ボロボロになりながらも歌い続けた歌姫。
「もしあんなふうにして生きてこなかったら、あたしはピアフにはなれなかったもの」というのが彼女の口ぐせだったという。
映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」は、そんな彼女の波乱万丈の生涯を描いた映画。彼女自ら作詞した珠玉のシャンソンの名曲が流れる。
才能を見出したイブ・モンタンに恋をして「バラ色の人生」が生まれ、激しい恋をしたボクシング世界チャンピオンのマルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなった直後、自ら彼に捧げたのが「愛の賛歌」。
愛を求め、愛に傷つきながらも、愛を歌い続けた47年の人生だった。
彼女の葬儀でカトリック教会は日ごろの彼女の行状ゆえミサを許さなかったが、葬儀には死を悼むパリの人々が路上にあふれ、交通が麻痺し、パリ中の商店が弔意を表して喪に服し休業した。パリの交通がストップしたのは第二次大戦が終わった時以来だったという。
そして死後40年以上たった今でも色あせないピアフの歌を世界中が愛している。
今年の初め僕は、「ぜひ見て欲しい作品がある」ということで、東京・銀座にある映画会社の一室でエディット・ピアフの生涯を描いたフランス映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」のまだ日本語訳もついていないフッテージ(映像の一部)を見た。
フランス語はわからないけれど、その熱く激しい愛の生涯の一部を切り取ったかのようなその作品に、僕は魅せられてしまった。
主人公エディット・ピアフは、貧困の中で育ち、幸せ薄き幼少時代ですら天性の歌声で生き抜き、「愛の賛歌」「バラ色の人生」「水に流して」など名曲の数々を歌いフランスを代表する歌姫になった。
その生涯も彼女の歌う歌と同じように波乱万丈。この映画のタイトルにもなっている「愛の賛歌」は、最愛の人、ボクシングの世界チャンピオン!マルセル・セルダンに捧げた愛の歌。
でも、その歌の発表の時、彼は飛行機事故でこの世を去ってしまう。愛を求め、愛に傷つき、それでも愛を歌い続けたピアフ。
歌が人生なのか、人生が歌なのか、激しい恋をし、その思いを歌にのせ自分の人生を生き抜いた47年の生涯だった。日本ではなんといっても、岩谷時子が意訳し越路吹雪が歌った「あなたの、燃える手で。私を抱きしめて。ただ二人だけで、生きていたいの♪」がやはり一番最初に頭に浮かぶ。
実際のピアフの「愛の賛歌」の歌詞は、もっと激しく「愛のためなら盗みでもなんでもする」といった盲目的な愛の歌だった。
「“歌”っていうのは、人の人生を変えるくらいの力を持っている。」先日なくなった作詞家、阿久悠がいった言葉。
ピアフにはピアフの、越路吹雪には越路吹雪の人生の「愛の賛歌」があったからこそ、死後何年たっても歌い継がれている。
歌に、その人の人生をのせて語りかけていたから、人は感動し涙した。いつの時代でも、本物には誰もかなわない。ましてや、愛の歌を歌うエディット・ピアフには。この映画を見ると、それがよくわかる。
世界中を魅了した伝説の歌姫エディット・ピアフの生涯を描く伝記ドラマ。歌手を目指す母アネッタの娘エディットは、祖母が経営する娼館で娼婦らに育てられる。
やがて母のように道で歌い始めたエディットは、名門キャバレーのオーナー、ルイ・ルプレに見出されるが……。
監督:オリヴィエ・ダアン
出演:マリオン・コティヤール
ジェラール・ドパルデュー
スペインは、その昔イスラムの文化とキリスト教の文化が、せめぎあった
場所だったためか、同じヨーロッパの文化圏の中でも少し異質感がある。
壁紙の模様にしてもアラベスクを思い浮かべる幾何学模様、心に突き刺
さるような原色を多用した色彩、それがスペインなのだというものがたく
さんある。文化というものは混ざり合うごとに強く特異になっていくのだろ
うか。スペインが生んだ映画監督、ペドロ・アルモドバルは、人間の業の
深さや、女の強さ、したたかさ、やさしさ、そして哀しさを「オール・アバウ
ト・マイ・マザー」「トーク・トゥ・ハー」などで描いてきた。
新作「ボルベール<帰郷>」も、母として、娘として、そして女として人生
をたくましく生きる女たちの生き様をタンゴの名曲“ボルベール”に乗せて、
哀しくも可笑しい、祖母・母・娘三世代の人生を綴った感動のドラマになっ
ている。主演のペネロペ・クルスは、アルモドバル監督の代表作「オール・
アバウト・マイ・マザー」で脚光を浴び、アメリカに進出して数々のハリウッ
ド作品に出演した。
トム・クルーズと浮名も流し、そこそこ活躍はしていたが、これといった
作品にはめぐり合わなかった。そして久しぶりに故郷のスペイン映画に
出演、しかもアルモドバル作品である。監督としては“お尻”だけは気に入
らなかったらしく、ペネロペは付け尻をして撮影にいどんだ。そして、綺麗
なだけのお姉さんではなく、情熱的で、したたかで、酸いも甘いも知り尽く
したスペインの女を見事に演じきっている。
カンヌ映画祭では、異例ながら出演した女優6人に最優秀主演女優賞が
贈呈され、米アカデミー賞では主演女優賞にノミネートされた。いろいろ回
り道したけれど、本物の女優になって帰ってきた彼女自身の<帰郷>そ
のものだったわけだ。
トザイナ、トザイナ、むかし神代の始まりは、イザナギ、イザナミ、ふた柱・・・
やっぱりホントはコッカラダー♪津軽漫芸で、昔は斉藤又四郎、今なら黒石
八郎さんが得意としているコッカラ舞の最初のくだり。
コッカラというのは女性の“あそこ”を指していて、おどけた踊りと歌詞に笑い
を誘う民謡だ。突き詰めていくと、偉い人でも大悪人でも、昔からみんな“ここ
から”出てきたんだよといった、中々意味深い老子の教えにも通じる歌。
母なる大地じゃないけれどモトをただせば、母・女性は偉大なのである。
いつの世も、男と女がいて、生まれ死んでいく。その根本には、生みの痛み
を初めとした、さまざまな痛みを抱えながらも、それを乗り越える女性が
いる。映画「ボルベール<帰郷>」は、女性より女性の心を知り尽くしている
といわれる、スペインを代表する映画監督ペドロ・アルモドバルの最新作。
ラテンの情熱的な色彩と音楽が溶け合って、見る人すべての母性を奮い
立たせ、女であることの喜び、悲しさ、たくましさを描く、女性賛歌三部作の
最終章。これまでの二本は、息子を失った母親を描いた『オール・アバウト・
マイ・マザー』でアカデミー賞外国語映画賞を、そして『トーク・トゥ・ハー』
でアカデミー賞最優秀オリジナル脚本賞を受賞している。
「ボルベール」では、主演のペネロペ・クルスを始めとする6人の女優全員に、
本年度のカンヌで最優秀主演女優賞が贈られるという快挙を達成した。
監督の故郷ラ・マンチャを舞台に、ある時は母として“たくましく”、ある時は
娘として母に“甘え”、女として“したたかに”そして“情熱的に”ふるまう主人公
ライムンダを演じるペネロペが素晴らしい。
この映画を見て、女性ならば女に生まれたことを誇りに思い、男性ならば
母を思う。心に、じわじわとしみ入るような、そんな感動が見た後に感じ
取れる映画。やっぱり“ふるさと”は偉大だ。
伯母の死をきっかけに故郷を訪れたライムンダはそこに懐かしき亡き母の
匂いを感じる。
母が教えてくれた「ボルベール」を歌いながら生前、分かり合うことのなかっ
た母との関係に思いをはせる彼女だったが、ふと窓の外に死んだはずの
母の面影を見る…。タンゴの名曲に乗せて贈る、 哀しくも可笑しい、祖母
・母・娘三世代の人生を綴った感動のドラマ。
スペイン映画
監督:ペドロ・アルモドバル
主演:ペネロペ・クルス
フィルムの編集の最中は、電話に出たくない。でも、そんなときにかぎって電話が来る。フィルムの編集で暑い暑い映写室でタオルでハチマキしてどっかのラーメン屋のアンちゃん状態。今回のフィルムは状態は最高でキチンと巻きもしていて、なにごともなく順調につなげていった。途中電話。間違わないようにちゃんとしていたつもりだったが・・・。つなげ終わって空になったフィルム缶(缶じゃないけどプラスティック)をラックに積もうと持ったら!なんか重い!んー!確かめたら、なんと3巻目フィルム入っている!・・・抜いたー!大ショック。まきもどして2巻目のケツ出してつなげる。トホホ
だまって表に立っていると溶けてしまいそうなくらい暑い暑い東京に又行く。といっても仕事だからしょうがない。毎年恒例の外国映画輸入配給協会(通称,外配協)主催のGTFトーキョー・シネマ・ショーが内幸町のイイノホールでおこなわれた。もうすでに12回目となる大予告編大会。いつものようにクロさんが司会。10時半きっかりに始まって昼休みを入れての、終わったの3時半過ぎ。プログラムではその紹介本数なんと31社273本!しかもこれでも来年の上半期までの本数なのだから、凄い数だ。こんなにあると各社の宣伝部が色々工夫を凝らしているけれど、何がなんだかわからなくなってくる。いつものことではあるけれど。
よく聞かれる質問に、僕は、音楽が良い映画が好きだと答えている。別にミュージカル映画が好きなのではない。
どちらかというと、映画の筋そっちのけで、唐突に踊ったり歌ったりするミュージカルは苦手なジャンルといっていい。
「ゴッド・ファーザー」、「ブルース・ブラザース」、「燃えよドラゴン」、「ロッキー」、「スター・ウォーズ」、「卒業」、「ロミオ+ジュリエット」、「レイ」などなど。
ジャンルはとにかく、映画に使われている音楽そのものがオリジナルであれ、既成の歌であれ、良い音楽が使われている映画が好きだ。洋画だけではない。日本映画でも、北島三郎の「兄弟仁義」。
高倉健の「唐獅子牡丹」。「砂の器」のオーケストラが奏でる荘厳な音楽。黒澤明を支えた早坂文雄の「七人の侍」。「旅の重さ」の吉田拓郎。拓郎が出たから陽水も、栗田ヒロミの「放課後」。最近では「リンダ・リンダ・リンダ」。ブルー・ハーツのオリジナルがヒットしたときは、過激さのあまり関心はなかったが、映画でペ・ドゥナが歌った「リンダ・リンダ」にはシビレタ。
そんな大好きな映画の中でもオススメが「ラウンド・ミッドナイト」。ただ、ただ、ひたすらにカッコイイ、心揺さぶられる映画。ニューヨークからパリにやって来たジャズ・プレイヤー“ディル”と、彼の吹くサクスフォンを“神の響き”と崇め、酒と薬でボロボロになった彼を庇護するフランス人青年の友情を描いている。
。他の出演者もハービー・ハンコック、ロン・カーター、ウェイン・ショーターなど、バリバリのジャズ・プレイヤーが「ラウンド・ミッドナイト」「ボディ・アンド・ソウル」などの名曲を演奏している。パリの地下にあるジャズ・クラブの場面など、もしも、そのクラブが近くに実在していたならば、毎日でも通いたくなるくらいだ。
そして、なんといっても主役のデクスター・ゴードンが素晴らしい。本物のジャズメンだからこそ表現できるその生き様が、主人公“ディル・ターナー”なのか、それともバド・パウエルなのか、デクスター・ゴードン本人そのものなのか。おのれの命を削って演奏してきたモダン・ジャズという生き方を、そのままに表現しているように思わせる。
映画初出演ということなど、どうでもいいくらいの絶妙な演技も、ビ・バップの即興のなせる技だったのだろうか。そして、心に染みるフランスの空の青さと、ジャズを育てたパリの人々の懐の広さ。もしもパリがなかったら、マイルスもモンクもパーカーも、たぶんジャズそのものが消えてなくなっていたかもしれないと思わせる映画。
ジャズに興味がない人も、ぜひ見て欲しい。タバコの煙と強い酒とジャズ。健康的ではないけれど、たまにはいいかな。
クラッシック音楽がブームなのだという。マンガ「のだめカンタービレ」が、TVドラマになってクラシック・ブームに火がつき、CDの「ベスト・オブ・クラシック」が爆発的ヒットとなった。昨年、モーツァルト生誕250周年ということもあり、今までにないくらいクラシック音楽が注目されている。
日本映画「神童」も、男女二人の若きピアニストが主人公の本格的クラシック映画。
注目は、主人公の男女を演じる2人の役者が、この先必ずや日本映画を代表する逸材であるということ。
言葉を覚える前に楽譜が読めた13歳の天才ピアニスト“うた”を演じるのは14歳にして映画初主演ながら、その圧倒的な存在感と演技で、まさしく神童の呼び声高い成海璃子。
「大丈夫、あたしは音楽だから」と言い切る、そのゆるぎない自信、必然から自然に感じさせるほどの天賦の才で自然に演技できる中学生の大女優だ。そして、天才ゆえ悩み孤独な彼女に、音楽の楽しさ素晴らしさを目覚めさせる、落ちこぼれの音大受験生ワオに、青森県下北出身であり、今、最も活躍している若手俳優の松山ケンイチ。朴訥に、そしてひたむきにピアノを弾き、演じる姿は、彼もまた神童なのだと感じさせる演技だ。もう一人、神童がこの映画には参加している。
わずか5歳でウィーン国立音楽大学予備科に入学した94年生まれの和久井冬麦が“うた”の演奏の吹き替えを担当している。
その他、英国王立音楽院を主席で卒業し現在同じ学院の大学院に在学中の三浦友里枝。TV「のだめ・・」で玉木宏の演奏の吹き替えを担当し、今回ワオの演奏も担当しているショパンコンクール1位の清塚信也など、国際舞台で活躍する日本クラシック界の新鋭がベートーヴェン、メンデルスゾーン、モーツァルト、シューベルト、ショパンの名曲の数々を奏でる。劇中に出てくる言葉「音楽は生きるためにあるものだ」この映画を見て、その意味を感じ取ってくれたら幸いである。
自身の才能に悩み、持て余している13歳の天才ピアニストの少女うたが、音大を目指す落ちこぼれ浪人生ワオと出会い、成長する姿を描く。
さそうあきらの同名コミックの映画化。
監督 萩生田宏治
出演 成海璃子、松山ケンイチ、手塚理美、吉田日出子、甲本雅裕、西島秀俊、柄本明、串田和美、貫地谷しほり
その昔、リーゼントや暴走族、今で言うヤンキーは苦手だった。でも回りの友達はリーゼントのヤンキーだらけ。
チュウラン、タンラン、チョウラン(金魚ではない)の裏に昇り竜の刺繍入り!なんて今思えば冗談みたいな学生服の中、一人スクール・タイガーの普通の学ランで、わざとボロボロにした学生帽を目深にかぶり学校に通っていた。
そして、なんといっても理解できなかったのが“ソリ”。若いうちから剃りこみいれて凄みをきかすなんて、どこから伝わった風習なんだろう。
僕は、かっこいいとは少しも思わなかった。もしかしたら、江戸時代のチョンマゲの月代のなごりか。(そんな、そり込みいれたみんなは今では自然にそりこんでるが)でも、キャロルや矢沢永吉も好きだった。
原宿に、まだ岩城晃一も舘ひろしもいたクールス見に行ったり、外人部隊(なつかしいなぁ)のコンサートに行って一番前のスピーカーの前で耳がおかしくなったこともある。不良じゃなかったけれど、なんとなく、あの熱いのが好きだった。
そんな時代の名作が6月22日あおもり映画祭の上映作品の一つとしてシネマディクトにて上映される。「狂い咲きサンダーロード」監督:石井聰亙、音楽・美術:泉谷しげる この幻の名作を今、映画館で、しかも35mmフィルムで見られるのは結構すごいことなんです。
しかも橋本康成さん司会、石井監督と泉谷さんと3人でトークショー!なんと上映終わってから!上映夜8時から!だから夜中まで!いつ終わるのか、わかんない!あの熱かった日々をもう一度!ぜひ!
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