キャピタリズムと紺屋高尾
マイケル・ムーアの「キャピタリズム マネーは踊る」
銃社会、テロ、医療社会保険制度など数々の問題を、アポなし突撃取材という手法で鋭く切り込んできたマイケル・ムーアが、リーマン・ブラザーズから表向きになった世界同時不況をテーマにアメリカの今をみせてくれる。この映画を見て一番感じたことは、法というのは人間が作るもので時の政府が腐っていればいるほどその法も自分たちに良い様に作られていくということ。時の財務省長官がゴールドマン・サックスの出身で(というかゴールドマン・サックスの人)商売敵のリーマンをつぶして、てめえの会社が危なくなったら税金つぎ込んで、ウォール街のボンクラ亡者役員は、そんなことはお構いなしにボーナス1億円なんて平気の平左。議会が怒ろうが関係ないよ。なにせ3億人(だったかな)のアメリカ人のうち400人が金持ちで、そいつらが政治・経済を思うが侭にしているのだから始末が悪い。フランクリン・ルーズベルトが死に際に軍産複合体の台頭に警鐘を鳴らしたが、物を作って売る産業自体がまだましで、今では学問の最高峰たるハーバードを出た俊英たちのトップがすべて生産に行かないで金融に行って金儲け(ここではもう詐欺と同じだが)金融工学なる複雑怪奇な詐欺の数式を操り、基本的な経済活動など、どうでもいいようなパワーフェイクキャピタリズムに染まりきっているアメリカ資本主義に憂鬱なる感情を覚える。最近TVで見たトヨタの米議会公聴会での議員たちがこの映画にも一杯出ているのを観ると、ますます憂鬱になる(二大政党が良いなんて誰が言い出したんだ!)。しかも、こんな国を支えているのが、じつは米国債買っている日本や中国だということがもっと憂鬱にさせる。「どうなるんだべ」とおもっていた月末
長谷川プロデューサー鳴海さんつかまえて、なにやら画策中
遊雀さん。よく来たのー。よかったよかった。
チリ地震で津波が来るぞ!とTVでは沿岸部の中継をしていて、「来るんだべが?」津波!それより今日のディクト寄席の噺家さん来ない「来るんだべが」・・・・まずい心配だ。もし来なかったらどうするべ・・・と心配していたら、夕方無事到着。三遊亭遊雀さん。ポスターでは師匠の小遊三さんに似ているなーと思っていたら、実物は、なんか吉田照美みたいな感じの職人的な人。後で聞いたら”鉄ちゃん”だそうで(事前に聞いてなくてよかった)、今回はどこにも寄らず、どこのローカル線にもわき目も振らずまつっぐ!新幹線-特急津軽で青森に到着したそうで。やれやれ。寄席終わったあと片付けまで手伝ってくれて「良い人だー」。今回はお初の噺家さんだったので、どんな感じなのかなーと(プロデューサーの長谷川さんが良いーっていうのだから間違いないけれど、好き嫌いは別なんで・・)多少はチケットの動きも手伝って少し心配していたが、杞憂に終わり、最後には泣かされてなにやら、うれしいやら、くやしいやら。まずは「熊の皮」で軽く笑わせ、「四段目」でぐっと引き寄せて最後「紺屋高尾」で泣かせた。染物屋の職人・久蔵が吉原の高尾太夫に恋わずらいして、仕事にどころじゃないのを見かねた親方が、三年がんばって15両ためて高尾太夫に会いに行けば良いと、職人を諭して事なきを得る。しかし、三年後本当に貯めたお金18両と二分を元手に、ついに高雄太夫に会いに行くといった人情噺。まさか、お初の噺家さんに泣かされるとは思わなかったが、この「紺屋高尾」見方によっては、資本家と労働者の物語でもある。雲の上の存在のような江戸のアイドルに一目惚れして仕事にならない労働者を、どうにかして働かせようと「死に物狂いで働いて金貯めろ、そうしたら会わせてやる」と言い聞かしやる気を出させる資本家、でもその心のうちにはそのうち熱も醒めると踏んでいる。でも3年後、本当に死に物狂いでモチベーション切らずにやりきった労働者に資本家は・・ここからは、この表現あまりよくないな。職人に親方は貯めた18両二分を少し心づけし20両にして、高尾太夫に会えるようにしてやる。映画「キャピアリズム」で職人に生命保険までかけるあの国とは大違いだ。
後から聞いたら今回の「紺屋高尾」は談志師匠の流れの「紺屋高尾」だそうで、それだったらリーマンだろうがバンカメだろうがウォルマートだろうがかなうわけねーや。