ムーラン・コラム そのニ 合浦公園の思い出
いまは無き名店たち。その二
合浦公園にあった木村屋。今では合浦公園の「みつかけ」といえば“つじい”だが、本当は木村屋だった。ここのおばあちゃんが細長く伸ばした餅を和鋏でチョキチョキ切ってミツをかけるみつかけが好きだった。そして忘れてならないのがしょっぱい中華ソバ。今でも心の中では、ここの中華ソバが一番美味いと思っている。開高健は、もうなくなったものを想い焦がれるうちに、その想いが増幅して、実際にまたまったく同じ物でも、めぐりあったときに、自分の想いと違ったりしてがっかりすることを「智の哀しみ」と評したが、それでも僕は叶わぬ事と知りながら、ここのシナソバが食べたい。夏休みに海水浴に来てまずは木村屋でミツカケや串団子と中華をたのむ。最初出て来るブリキ製の魔法の急須も懐かしい。大人のゲンコツくらいの大きさなのだが、茶碗に注いでも注いでもまだ番茶が出て来る不思議な急須だった。薄暗くコンクリ打ちっぱなしのタタキに、そっけないスチールにビニールのカバーのイスとテーブル。かえってそれが懐かしい。もうなくなって30年くらいはたったのだろうか。ここで腹ごしらえしてから浜辺に向かう。子供の頃から“がっぽ”公園には当たり前のように海水浴に行っていたが、日本全国でも海水浴場がある公園はめずらしいらしい。ここで海水浴というよりも砂遊びして、屋台のオデン食べる(今ショウガミソおでんって言っているけれど、あれは“しょうがみそ味の素”おでんなのだ!味の素思いっきり入ってないと今一美味しくない)。それだけでとても記憶に残っている子供の日々。そして忘れられないのが競輪場。ここにオットセイがいた。父に連れられてガッポに行くと木村屋行ってから、ここでオットセイを見ていた。花見も青森ではここ。寒くて寒くて我慢比べみたいなわけわかんない夜桜宴会。いろいろなことがあった。すべてがなつかしい公園。それが合浦公園。