2007年9月28日

朝日新聞 エディット・ピア

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 11:56 PM

フランスで最も愛された歌手、エディット・ピアフは子供時代、貧困の極みの中で、母親に捨てられ、娼婦たちと生活を共にした。
その後、大道芸人の父と一緒に旅回りの日々を過ごし、路上で歌を歌い糊口をしのぐ。
今風に言えば、ストリート・チルドレンでありストリート・ミュージシャンだった。
そこから、パリの名門クラブのオーナー、ルイ・ルプレに見出されフランスを代表する歌姫エディット・ピアフになっていく。

喜び、悲しみ、人生のすべてを包み込むような愛の歌を歌ったエディット・ピアフ。
その歌の後ろ側には、他の人が経験もしなかった、さまざまな悲しみや苦しみが潜んでいた。

だからこそ誰かを愛し続け、傷つき、孤独にさいなまれ、ボロボロになりながらも歌い続けた歌姫。
「もしあんなふうにして生きてこなかったら、あたしはピアフにはなれなかったもの」というのが彼女の口ぐせだったという。
映画「エディット・ピアフ 愛の賛歌」は、そんな彼女の波乱万丈の生涯を描いた映画。彼女自ら作詞した珠玉のシャンソンの名曲が流れる。
才能を見出したイブ・モンタンに恋をして「バラ色の人生」が生まれ、激しい恋をしたボクシング世界チャンピオンのマルセル・セルダンが飛行機事故で亡くなった直後、自ら彼に捧げたのが「愛の賛歌」。
愛を求め、愛に傷つきながらも、愛を歌い続けた47年の人生だった。
彼女の葬儀でカトリック教会は日ごろの彼女の行状ゆえミサを許さなかったが、葬儀には死を悼むパリの人々が路上にあふれ、交通が麻痺し、パリ中の商店が弔意を表して喪に服し休業した。パリの交通がストップしたのは第二次大戦が終わった時以来だったという。
そして死後40年以上たった今でも色あせないピアフの歌を世界中が愛している。

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