2006年1月10日

謹賀新年

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今年もよろしくお願いします。

毎年、映画会社から年賀状が届きます。基本は今年のラインナップ、つまり今年の作品紹介です。各社さまざま会社のカラーが出ています。その中の一部を紹介します。

紹介した会社、しなかった会社(トルネードみたいに毎年凝っている会社もありますが今回は素材が長―――いのでカット)この中の一部をシネマディクトで上映します。

 

2005年12月21日

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  寿司と天ぷらは、親のカタキの如く出たら即座に口に放り込む。付け台(まあ俗にいうカウンター)でタバコ片手に酒飲みながらウダウダと話ばかりしているやからなんぞがいると、”他に行け”と、付け台諸共ブン投げたくなる(おもうだけだが)。
小さい頃から父によく寿司屋や天ぷら屋につれてもらっていたので、寿司屋の親方からいろいろな魚の美味しさや食べ方、掟というか作法みたいなものを教えて もらった。”あがり”とか”ムラサキ”なんかの符丁は「職人が使う言葉でお客が使うもんじゃないよ」なんてことも教わったり、天ぷらもしかりで天ぷらで食 べる魚や野菜の旨さ、美味しい食べ方を教わった。
父からあまりものを教えてもらった記憶はないが、今はやりの言葉で言うと食育だったのかなーと思う。
寿司と天ぷらはすぐ食え。うなぎは待て。すぐ出てくるようなうなぎはろくなもんじゃねー。
その中の店の一つ「天ぷら芝」が12月28日で閉店するという。ちゃんとした店がまたなくなる。どっか間違っているこの国は。
ちゃんとしたものがいらない世の中になっちゃったのかなー。つまんねーなー
また親のカタキが消える。寂しいなー。

2005年10月13日

「朝日新聞コラム」 館主が朝日新聞に寄せたコラムです。

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「カーテンコール」11/12ロードショー
映画が人々の生活の楽しみだった昭和30年代の映画館が舞台。その当時は二本立て三本立てで、映画館がひしめき合い、そこで人々が泣き笑い楽しんでいた時 代。ある地方の映画館の映画と映画の幕間の休憩時間に物まねやコントで笑わせていた芸人とその家族の物語。監督は「半落ち」の佐々部清。
物語は映画館に長年働くモギリのオバサンの昔話から始まる。監督はこの役の女優にはどうしてもTVタレントではなくて映画の匂いのする映画女優にやって欲 しかった、その女優こそ大映で雷蔵の相手役や個人的には「雪女」の印象が深い藤村志保。そして長年東映で切られ役をしていた福本清三が映写技師の役と、監 督のこだわりで活動屋の匂いのする人々が必要だった。座頭市や網走番外地、渡り鳥。名作として残ってはいないけど、あの頃拍手喝さいを浴び泣き笑い楽しみ だった映画の数々がスクリーンによみがえる。映画館。そこにはまだ貧しかったけど一生懸命働いて家族で笑って泣いた楽しかった日々があった。
そういう私も青森市の二番館、奈良屋劇場で生まれ育った「小屋育ち」。生活の場も映画館だった子供の頃の思い出といえば、その当時見た映画の数々と、まさ しく“うなっていた“人・人・人。この映画は、私にとってなつかしく、そしてちょっぴり寂しい。

「出張-夏」

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今年も行ってきました

毎度おなじみになった外国映画輸入配給協会主催のトウキョウ・シネマ・ショウに
今年も行って来た。今年は、去年と同じグレネーダ・トウキョウという東京都のイヴェント(なんでも夏休みに東京へ遊びに来る人を呼ぼうといった企画、このくそ熱いのに)の一つとして真夏のこの時期に行なわれた。(まあ補助が出るのでしょうな)
さて、お馴染みの襟川クロさん司会?というか仕切りの大予告編大会。今回は午前は単館作品。昼休みを入れて午後はロードショー作品の二部構成で合計113本!いつものことながら途中から何がなんだかわからなくなっちゃうのだけれど。
でその後全興連が任命した映画大使の筑紫哲也さん独断と偏見による一人で勝手にやってます。

筑紫アワードの発表と表彰式、そして「映画の今」というテーマでゲストを迎えてのトークショーその後上のレストランで懇親会と朝の10時から夕方6時ごろ まで一日中虎ノ門のイイノホールに居っぱなしの一日。最終の新幹線に乗って夜中に帰宅、疲れました。

クロさん毎年ご苦労様
筑紫アワードは「箪笥
筑紫さんとゲストの面々

[2005.8.18]

 

■「出張-秋」

朝5時に起きる。体調最悪、出張の日に限っていつもこうだ。今日は久々に天気がいいはずだが八戸に近づいたら急に霧で真っ白になったので驚きながら新幹線 に乗り換え。乗り際に某代議士がいてジロっと睨まれるコワッ!その上仙台からコミコミでしかも隣に座ったおばさんがやたら香水くさくて死にそうになる。定 刻に東京着。まずは本郷のN社。新しい親会社が二転三転してさぞ忙しいのかなと思ったら何にも変ってない。まだ決まったばかりだからこれからだそうな。
作品的にはベンゴの監督のやつとウディ・アレンがまたある。ホテルにチェック・インして、まだ試写に時間があったので築地市場に行き念願のゴム長を買う。 ついでに”豊ちゃん”でカツ丼を食す。となりのおじさんが食ってた牡蠣フライも魅力だったが、まずはカツ丼。旨い。そのまま恵比寿のK社に行き勢いで3本 日程まで決める。来年も興味深い作品が結構あります。京橋の美学校へ試写状忘れてきたことに気づくけどまあいいや受付に言ったらT社のMさんちゃんと僕が 見ることを連絡していた。作品は「タブロイド」・・「シティ・オブ・ゴッド」を超える衝撃作!と言っていたけど確かに衝撃作。南米は病んどるのー。日本に 生まれてよかった。単純にそう思う。レグザイモ魅力あるなー。歩いてT社へ来年「風と共に去りぬ」あるんだと!でも4時間!!どうすんべ!でもやりたいし なー・・・とりあえずやります。あとは来年考えよう。

ギネス好き
二杯目


そして東銀座のU社。なんとなく空気が不穏な感じ・・”イヤーいいや今日はもう、飲みに行こう”断る理由なんてなーんもない、自分の仕事の話なんもせんで飲みに行ってしまいました。まあいいか。帰りにいつものパブでギネスと白ビール飲んで帰る。

2日目
朝、国立博物館に古伊万里と国宝の仏頭を見にゆく。最近お茶会によばれるので少し勉強。乾山、仁清など本物を見る。そうしていても無粋な携帯がぶーぶーし ている。まだ10時前なのになんか腹が立ってきた。でも、あんまりしつこいので会場出て電話に出たら”二階に工事で来たのに開いてない”そんなこといっ たってワタシャ東京だっつっうの。これだから電話は嫌いメールも携帯もこの世の中から消えてなくなればいい。でも仕事で使うからしかたがない。国宝の仏頭 を拝んで心を落ち着かせ、さあ仕事仕事!
まずは溜池のCへ「たまには昼飯でも食いましょうよ」いつも誘ってくれるM君ブルース・リー命の良い男(いろんな意味で)ほんじゃということで一緒に中華 料理食う。海老もお粥もマンゴープリンもおいしゅうございました。さあ六本木のAAに行くぞ!そしたら「歩いていってもすぐっすよ」なんていうから歩く。 BUT!大汗かいちまった失敗。汗だくでAA社に着く。ここもいっぱいシャシンあるよー!来年秋までいっぱいいっぱいだよー。「とりあえずスピルバーグは ずして」なんて恐ろしいことたのんだらすんなり「わかりました」そのかわりあっちもこっちもよろしくお願いします。おいおい意味ねージャン。とりあえず渋 谷に行かなくちゃ今度はデッケービルの13階にあるT社。入るときもチェックを受ける。
セキュリティーがうるさい。ここでもたくさんシャシンあるけど僕は小屋も心も狭いのジャー。まあ言い方によっては相手にされていないともいえるのだけど。 さてもう一軒渋谷にある会社C社に行かなくては今年ラブホだらけの円山町から道玄坂に移ったとはいえ坂がきつい、担当のIさん夏休みでサブのYさんと話を する以上終了。恵比寿のTに行くには約束の時間にまだ余裕があったので渋谷を少しぶらつく。ハンズにいって人ごみにうんざりしてくる。昔カミサンとよく 行ったトップドックという飲み屋のあとが唐そばというラーメン屋になっていたので入ってみる。
そこで大変なことが・・・。とりあえずラーメンたのんでトイレに最新型のかってにフタ開くやつ。もう一回ボタン押すと便座もあがることは知っていたけど” ない!”水流すレバーがどこにもない!まいったなー大じゃないからまっいいかとも思ったけどどこかにあるはずだと思い探して探してやっとウォシュレットの 操作盤の上に流すボタン!!を見つける。みなさん唐そばのトイレにはきをつけましょう。そうこうしてたからもうラーメン待っていた。すこしのびたけどうま かった。
今度は恵比寿のTじゃー駅から歩くこと10分なんで東京はこんなに歩くのじゃーしかも坂道。
やっと辿り着いた普通のマンション。その最上階にピンポン押すのが不安なくらいの普通の一室にTはある。ここの代表、K井俊太郎とは腐れ縁といっていいだ ろう。それは後日に回して今回もいつものように”これやってよ、これもやってくれるよねー”くだらないけどおもしろそうなシャシンがこれでもか状態だ企画 の段階のものも、こんなのできるのかいなっていうのでも作るから偉い。
そして紀尾井町のHへ、遠いぞーH。みんななーんも考えないで資料よこすからプレスやらビデオやらROMやらでかばんパンパンだよー!重てーしかも秋なのに東京暑いから上着も突っ込んでやっと辿り着く。
そうだ途中半蔵門で昔よく食った金鍔を買った、恐ろしいくらい日持ちしないことわかっているのに4個も買う(お前はあほか)。Hラルドで何本か決めて話して終了。あと一つで今日はおしまい。でもまた四谷まで歩き。
駅でX社のMさんと四谷の焼き鳥屋で焼酎いっぱい飲み帰る。ホテルに帰り沈没。

3日目
朝6時に起きる。昨日予報では雨だったけどもちそうだ。風呂はいって飯食って昨日までにたまった資料や着替えを宅配便で送りホテルを出る。今日は1時から 試写見て帰るだけ。それまで六本木ヒルズの「ダビンチ展」を見に行く。ダビンチは凄かったけど一緒にやっていた写真家のほうは・・・。でもこのビルなんか 好かん。いりこんでいて、複雑で狭くてあんまり来たくないはここ
そんで銀座に出てレンガ亭で昼飯。ポークカツ&ハヤシライス地下に案内されて階段の近くのテーブル。
目の前に冷蔵庫があってその中にサッポロラガーの大瓶が・・父が好きだったビール。迷わず注文。先に出てきたラッキョつまみにグビープァー!うめーーー。 ハヤシライスも来た旨い!ポークカツも来た。たっぷりカラシつけてむしゃむしゃ幸せ!記念に携帯で写真とってカミサンにメールしたら「仕事しろ」って
かえってきた。はいはい仕事します。東銀座のUの試写室へ。記帳してから下の営業部に荷物置きに行く。担当のSさん昼でいなかったので試写終わったら仕事 の話ある旨を伝えて試写室に戻る。試写の時間まで30分ぐらいある。早くきすぎたかなーとロビーの自販機からアロエジュースを押す(無料です。)
F沢の支配人と談笑していたらSさんやってきて予定表もらってオーマイガ!2007年の正月までずーっとシャシンあるじゃん・・・来年の事は来年考えよ う。試写は「プライドと偏見」ヴェリーグッド!!!個人的にはキングコングしだいだけどオスカーいいとこいくのでは?なによりもキーラ・ナイトレイが素晴 らしい。ノーブル
でロマンティック!そしてさわやかないい映画でした。そんで下で仕事の話ヒソヒソ(ヨン様は28日までだって、
プライド~は絶対やる、キングコング本当に3時間じゃないよね・・)ETCそんで今回の東京での仕事終了。
さあけえろけえろカミサンにマルコリーニでチョコ買って新幹線に乗った、自分にお疲れさん。

コムストック
シネカノン
彼がK井S太郎だ!

 

2005年8月1日

「東京出張」

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台風来てます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

できることならば、こんなクソ暑いしかも台風が来ているというときに東京なん ぞに行きたくはなかった。しかもこの前地震があったので、ちょっと高層ビルの エレベーターには乗りたくないなーっと思っていたのに、こんな時に限って汐留 の新しく出来たCの33階に泊まる。”おまえはバカか!”自分で自分を罵りた くなる。こんな状況でもなんで上京するのかというとGAGAコミュニケーショ ンズが新たにGAGA・USENとなってスタートすることになり、その最初のラインナップ発表のためと今年の下半期のロードショーのスケジュールをまとめ なければならないこともあり前半台風、後半灼熱地獄の東京に行ってきた。

常にこの街は進化しつづけているみたいで汐留も昔は国鉄の貨物の基地だった所 が日テレやら電通やらデッケービルがたくさん建って凄いことになっている。新 しい開発地区ができるとビルが建ってそしてそこに新しいホテルができる。
最近 そういうところにできる新しいホテルは、どこか映画スターがこぞって泊まる新宿のパーク・ハイアット・東京(ロスト・イン・トランスレーションの舞台でも ありました)を意識しているように思える。今回のCもそんな感じだった(レス トランもNYグリルみたいな感じ、でもあくまでも感じ止まり)。こんなにホテ ルできて大丈夫なのかなー。

バスルームに・・

ベッドメイキングで

仕事の方はこの後の秋からヨン様→エリザベスタウ ン→ドミノ→キングコングで、あらもう来年。年内ブッキング終了!もう空きあ りまへん堪忍しておくれやす。そしてGAGAラインアップである。場所は芝のプリンスホテル・タワー。
汐留から大江戸線で三原橋駅で降りて2分とかいてあ ったから地下通路でつながっているのかな、朝のTVでは日中36℃ぐらいにな ると言っていたからなるべく表には出たくないから助かるなと思っていたら残念 ながらすぐ表に出て、しかもどこにも案内板やら案内の人もいない、少し歩いて 周りの人もGAGAの招待状持っていたから、先に行く人の後についていったけ ど2分どころか駐車場に行っちゃってその人がまた警備の人に行き方聞いたりし て大失敗。汗だらだらかきながらやっと着いた会場はビッシッとダークスーツ着 たGAGAの面々がお迎え、こっちは汗だらだら頭にタオル鉢巻にしたいくらい だ。
そしてなかは冷蔵庫かと思うくらいサミー!いくら皇帝ペンギン入ってるか らって寒すぎ。これだから東京の夏の出張は体調崩す。ラインアップの中身と言 えばさすがGAGA!バラエティにとんでいる。会長金持ってそー、社長(若け -41歳だって)の熱い挨拶、そしてヒューマックスの林さんまで登壇して今度 はパワードbyヒューマックスという協力体制なんですと!?ここらへんが映画 界の摩訶不思議魑魅魍魎七転八倒複雑怪奇!そしていよいよ映画パーソナリティ なるネ-サンが司会で数々のこれからの作品の紹介。シャーリーズ・セロンがい い女ですがあのタイトルのロゴはあれでいいの?その後のプロデューサー話し長 すぎプレゼンじゃないのだから。予定の12時半過ぎても熱く語るのはちょっと ね-。

ベッドでお出迎え

仲間がやって来た

 

2005年3月4日

「東京出張」

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東京出張。今回も朝6:44のつがる6号に乗り八戸で新幹線に乗り換えて11:08 に東京に着く。
二年前、大阪伊丹空港で着陸直後に強風のためタッチ&ゴーをやられてから、ど うも飛行機は苦手。見るのは好きなんだけど。でも時間に余裕を持って飛行場に 行き、なんだかんだで銀座に着くのが電車も飛行機も大して変わらないから、ど ちらかというと、電車の中でお気に入りの音楽を聴きながら、こうして駄文を書 いたり本読んだりしてすごすのもいいもんだ。東京着いたら、そのまま試写室直 行なんてときは、早めの昼食を兼ねてちょっと不真面目?だけど仙台過ぎたあた りで、午前中にもかかわらず牛タン弁当でビールなんてよろしんじゃないでしょ うか(昔の深夜放送でやっていた日本食堂のCM風・・わかる人いるかな?) 前に東奥日報で、月一回コラムというかエッセイというか、自分でもなんじゃこ りゃの文章を書いていた時の原稿料を、何に使おうかだいぶまよった。なにせあ んな駄文であるにもかかわらず、初めて文章を書いて得たまとまったお金なので、 ただ飲み食いに使うのもなんだし残しておいたが、さてなにを買おう。そんなに たいしたものは買えないが、なんか記念になるものをと考えた。それがなかなか 思いつかない。普通なら万年筆でもと思う文房具好きの僕だが、もう今はいない 敬愛する叔父から、大学の入学祝いにもらったモンブランの万年筆に悪いようで イマイチ触手が動かない(本当は銀座の伊東屋で物色したが完全に予算オーバー) 。ネクタイやゴルフクラブもなーっと思っていたら、雑誌でボーズのノイズキャ ンセラー付のヘッドホンの広告を見た。ヘッドホンなのにこの値段はすごい!普 通買わない買えない。

 

しかもポータブルCDプレイヤーの”おまけ”付!僕はとっても”おまけ””限定 ”に弱い。いつも出張で、MDやCDを聞きながら電車の中ですごしているが、いま いちイヤーホンもしっくりしたものがなかったので思い切って買ってしまった!
なんのなんの記念記念!インターネット!ネット!(これがまた曲者です)注文 したらすぐ送られてきた!そしてすぐ使ってみた感想は・・「大した事ないじゃ ん」っと思っていたら、その凄さは電車の中でわかった。こいつは凄い!もう新 幹線には手放せません。(最初は勘違いしていて、まったく音を遮断するものだ とおもっていたけれど、ノイズなのね遮断するのは) その後ソニーがパクッテ似たようなもの出したけど(しかも半額くらいの値段で!
クソー性能が劣っている事を願う)まあボーズにはかなうまい。なんてったって ボーズだからこっちは。といっていたら「この前までボーズなんかホーム・シア ターやカラオケ屋用だなんてバカにしていたくせに」とワイフ。それはスピーカ ーのことだもーん(スピーカーはJBLが一番さ僕の中では)。

 

 

今回のBGMは”Ray”のサントラ。朝眠い目をこすりながら電車に乗って、レイ・ チャールズを聞いていた。数々の名曲。曲ごとにその映画の場面を思い浮かべて いるうちに「ジョージア・オン・マン・マインド」が流れ出し、外を眺めると真 っ白な白銀の世界にオレンジ色の朝日が光り輝いていた。この曲は彼の故郷ジョ ージアを歌ったもの。そしてジョージア州の州歌にもなっている。でも、その前
にレイ・チャールズは黒人がゆえにジョージアから追い出され、それゆえにレイ ・チャールズが生まれた。意思持ておわれた故郷を、それでも彼は、懐かしみ愛 し、いつくしんだことはこの歌を聴くとよくわかる。それをおもうと自然と涙が 流れた。ナット・キング・コールやサム・クックに似せて歌おうが、R&Bからク ラシック、カントリー、ジャズまで、ジャンルなんてどうでもいい。彼は音楽そ のものだった。いいものは良いんだ。それは映画にもいえるけど。
映画の中でバンドのメンバーを待つ間ベートーベンの”月光”を弾く姿がとても心に 残る。
この映画はどうしても上映したかった。UIPに、けっこう無理言って上映させて もらった。
この映画を映せて僕はとてもうれしかった。UIPに感謝。
後記:主演のジェイミー・フォックスがアカデミー賞最優秀主演男優賞を獲得し たメデタイ。

2004年2月4日

「ある日の試写室での出来事」

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UIP試写室

ある日の試写室での出来事。
午後一時から始まる「シービスケット」の試写のため、青森~羽田の朝一の飛行 機で東京へ。
試写は時間厳守。もし飛行機おくれたら今日の日は、さようならまた逢う日迄。
一日が台無しになる。
予定通り定刻に飛んで定刻に羽田着!えらい!TDAじゃなかった(古すぎ)J AS!(まもなくJAL になるのね、少し寂しい) 京急で東銀座に着いたのは、12時ちょっとすぎ、そのまま歌舞伎座の向かいのU IPの営業部に 荷物を置いて上の試写室へ、名簿に名前書いてプレスもらってとりあえず席に着 く。
まだ時間まで40分くらいあるので人もまばら、と思ってたら、みるみるうちに席 が埋まって満席になり パイプイスまで出るくらいの盛況になる。お腹へってたけど何処にも寄らず早く きてよかった。
UIPの試写室で、僕が座る場所は前から2列目に座ることにしている。一番前 は映画評論の人たちの 縄張りなのだ。これはいつの時からそうなったかはしらないけど、とりあえず最 前列は遠慮しておく。
でも、今回はちょっとちがっていた。どうみても部外者というか、感じ悪そうな 二人組が最前列に座る。

今回はこの2本

その時点で嫌な予感。案の定、人が混み出してからもずーっと一人がメールをし ている。
そういうやつに限って頭でかくて、座高が長い!しかも最前列に座っておきなが ら、おもいっきり スクリーンにデカイ頭がカブッテいる。何から何までファックユーなのである。
それでも、まだ映画が始まる前だから我慢してたのだが、映画始まってもまだメ ールしている 携帯電話は映画を見るには必要ない、そんなにいそがしいのなら映画見なければ 良いのに、そういう やつに限って宣伝部がつれてきたスポンサー関係のクライアントだったりするので始末が悪い。
本人はメールだから音しないし、”どおってことない”と、お思いだろうが携帯 の画面は結構明るいので 目ざわりこの上なく、迷惑千番!配給会社のしかもUIPの試写室でこんな目に あうとは世も末じゃ!
そのうち、その無礼者は出て行き”サッパドシタ”そんなことはさておき映画映 画!「シービスケット」 心の琴線に触れたと言うか、なんで馬が走るのを見て、こんなに涙が流れるのだ ろうと思うくらい、 こんなに泣いたのは久しぶりでした。僕は一年前から犬を飼い始めたので(黒柴 で花子といいます) シービスケットのつぶらな瞳が花子に見えて、たまらなく、いとおしくなっちゃ って、シービスケットが また健気に一生懸命に走るものだから涙涙なのです。気がついたら最初の嫌なこ ともキレイすっかり 忘れて映画の世界に引き込まれました。ちなみに隣の女の人もグジャグジャに泣 いてました。

うちのコスプレ犬花子、正月バージョン

 

役者もクリス・クーパーが心優しきカウボーイを好演し、昨年のオスカーを獲得 した「アダプテーション」 より」ずっとこっちの方が僕は好きです。ジェフ・ブリッジスも「ファビラス・ ベーカーボーイズ」 の時のピアニストのイメージは遠い昔、上手に歳をとって初老の大富豪役を熱演 しています。そして トビー・マグワイア。「サイダーハウスルール」のあのナイーブな青年がスパイ ダーマンでマッチョな 体を作りみごとスターの仲間いり。今回は競馬の騎手という役なのでだいぶ減量 もしたみたいだし、 その後スパイダーマン2で、また筋肉つけて、まるで一昔前のデ・ニーロみたい です。
「タイタニック」の宣伝で日本に来た親友のデカプリオに、くっついて日本に来 た時は取り巻きの アンちゃんだったのに人間かわるものです。

 

アスミックエースにて

 

2003年9月4日

「トーキョーシネマショー」

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出発

毎年年末の東京国際映画祭の時期に行われていたトーキョーシネマショーが今年は7月28日、大嫌いな真夏の東京で行われた。怪しい曇りの朝8:00発 JAS160便に乗り岩木山の頂上を眺めながら無事東京着。せっかく右側の窓側に座ったのに残念ながら雲で富士山見えず。まずはダイヤモンドホテルに荷物 置いて会場の有楽町マリオンにある朝日ホールへ。この日は2部構成で午前は三村奈々恵のマリンバによる「スクリーン・ミュージックLive」と、衣装デザ イナーで日本女性初のアカデミー賞を受賞したワダエミさんによる「海外で活躍する日本の映画人」というテーマでのトークショー(本当は香川照之の予定だっ たが変更になった残念)。ランチタイムの後、午後は毎年恒例の予告編プレゼンという構成になっていた。マリンバ簡単に言うと木琴。材質は硬い木の代表の ローズウッドで出来ているそうです。まだ若いのにバークリーで教えているそうです。弘大のエセ非常勤講師(私です)とはだいぶちがうのです。ギターも同じ くバークリー音楽院に学んだという遠山哲郎、パーカッションは芸大卒で数々のミュージカルで活躍している萱谷亮一という凄いメンツがエンリオ・モリコーネ を演奏してました。

定宿。イギリス大使館の裏にあります。

トークショーは「乱」でオスカーを獲得したワダエミさん。エミー賞ももらってますこのかた。もっぱら衣装を手がけたチャン・イーモウの「HERO」の話。 でもチャン・イーモウは偉い。なにが偉いかって75万フィートも撮影して1時間49分に切っちゃうのが凄い!偉い!マギー・チャンは怒り狂ったみたいだけ ど、やっぱり映画は長いからいいってもんじゃない!なあアン・リー&チェン・カイコー。
ランチタイムは朝日ホールでケイタリングのメシ。モルツ2本、カレーライスちょっと、ハンバーガー(山のように盛っていて紙包みをとると、なぜか半分。な んかおかしいともう一個あけたらやっぱり半分???)サンドイッチ、なんかのパイ、食うだけ食って飲むだけ飲んで混んでいるし偉い人ばかりだしとっとと会 場に戻る。途中ロビーでぺぺ中村に電話入れて、おしっこしてから会場へ。

新しく生まれ変わるシネラセット

さあ今日のメーンイヴェント毎年恒例の予告編大会。今年も仕切るは襟川クロさん。MPAと東映も参加して合計82本!今年から来年にかけてのあらゆる種類 の作品の予告編を約4時間に渡って流しつづける我慢大会。今回は予算があったのか、ちゃんとしたプログラムがあったので安心してトコロテンのように知識は 流れって行った。5時に終了。帰りのエスカレーターで松竹のN氏に会う。「また奈良屋通信に書くんでしょ」といわれた。はい書きました。数寄屋橋阪急に よって娘のお土産買ってから東銀座のUIPへ、営業部に行ったらみんな会議だそうでとりあえず宣伝部にいっていつものように勝手にこれからの作品の素材を もらってくる。その後営業担当と話してから近くの中華で飯&酒ゴチになる。酢豚が美味かった。次の日、仕事は六本木に引っ越したアスミック・エースから。 引っ越したばっかなので玄関は花花花しかも胡蝶蘭などの鉢物が多い引越しのお約束?来年までのラインアップの説明うけて、こっちのラインアップにはめて チャンチャン。表に出たら雨が降っている。マツキヨでビニール傘買って次は同じ六本木にあるGAGAへ。蒸し暑い上に雨、しかも今日の仕事は六本木と渋谷 が中心。最近出張だと雨が降る。GAGAのミーティングルームでトーク・トゥ・ハー、エデンより彼方に、ついでにブルークラッシュとサクサク作品と日程き めて、アフリカとマリアカラスは後日、日程決めるということで、さあ渋谷へ。道玄坂を傘さしながら結構たまった映画資料をバッグを肩に歩くのは結構しんど い。道玄坂のてっぺん近くの交番を右に折れて円山町のシネカノンへ。北京ヴァイオリンとホテル・ハイビスカスの日にち決めて築地の松竹本社へ。マイ・ライ フ・ウイズアウト・ミーの話。邦題が「死ぬまでにしたい10のこと」に決定。通称「死ぬ10」だと。あんまりいい呼称ジャナイナーと思いつつこれで今回は 終了。やったー終わった終わった帰るぞー羽田に行って飛行機待ってたらなんか様子がおかしい・・・前回の悪夢がよぎる。フライトの時間が遅れたが、とりあ えず飛ぶそうで飛行機のったけどアナウンスで下りれなかったら引き返すそうで・・。それはねーべと願ってたら霧で真っ白の何も見えない青森空港へ無事着 陸。偉い!運転手うまい!さすが!よっ元TDA!わけわからんけど、とにかく無事に帰ってこれた。今度は新幹線で行こう。

朝日ホール 昼休み
毎年「みんな、がんばろー」と司会をするクロさん。この人がいるから、このイヴェ ント成り立ってます。

 

偉アスミックエースの玄関
もっといっぱいあった。

2003年7月10日

「弘大講義」

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM
久しぶりの弘大

ホームページの管理をお願いしているじょっぱり商店会の新年会でイクロスの中川さんの紹介で知り合った弘前大学の森先生に久々に会いました。森先生は昨 年まで研究のため北欧にいってらしてスカンジナビアの地で僕のディクトマガジンを読んでいたそうでインターネットに国境はないなーと実感しました。映画の 話をしたりして朝方近くまで飲んで、その話の中で森先生が“学生にも話をしてもらえないか”というので何も考えずに僕はその後でとんでもないことになると は思いもよらず“いっすよ”と即答!“断るよりやってまれ“を真情にしているとはいえやっぱり物事は少し考えたほうがいいかも。

次の日早速、森先生からメールをもらい酒の席の与太話ではないことを確認してちょこっと不安になったりして。そし て月日は流れて春。大学の学務課から履歴書を提出せよとのことで書いて郵送したらハンコ押してないということで戻ってきた(初めて履歴書なるものを書いた ので・・)。あらためてハンコおして提出。そしたら今度は人事異動なる書類が送られてきて弘前大学人文学部非常勤講師に任ずという卒業証書みたいなりっぱ な書類が郵送されてきた。僕はいったいどこから移動していくのだろうと思いながら母親に見せたら早速仏壇にお供えされて喜ばれて複雑な気持ち。(ママべつ にそんなにたいした事じゃないのだよ。ただ偶然こうなっただけだから。)
日程を決めましょうと森先生からメールが来て、じゃー6月下旬ごろがロードショーも一息つくのでいいかな、回数もそんなに何回もできないので一回こっきり でお願いした。もう20年以上前、今は亡き父と弟の合格発表を二人で見に行って以来、弘前大学には行ったことがなかったので、とりあえず一回行ってみる事 にする。手ぶらもなんだなと思い最近お気に入りの麦焼酎「井田萬力」一升ぶらさげて弘大に行く。
久しぶりに行った大学は21年前と変わりなくオヤジが弟の受験番号を見つけたときに走って行った電話ボックスもまだ同じ場所にあり卒業生でもないのになに かとても懐かしかった。そして6月24日に決まったのはいいけれど、そしたら6月下旬は殺人的なスケジュールになってしまい大後悔!(ちなみに21日は 「あおもり映画祭」のAIR青森インディーズ・ムービーでガラにもなく審査員をして結局、打ち上げから3時すぎまで主にカンフー映画の話して橋本さんたち と飲んじゃった。24日弘前大学。25日は私的な会合で本について語り合い結局また3時ごろまで飲んじゃった。
26日「ボウリング・フォー・コロンバイン」のテストで1時頃まで仕事。27日は県の生活衛生指導センターの諮問委員会とエフエムの生放送、28日は前に 働いていた小林さんの祝言、7月1日はATVの「おしゃべりハウス」でこの夏の映画ということで生放送、その他にも東奥日報夕刊のコラムやディクトマガジ ンの発行、映画料の支払いなどめちゃくちゃ忙しいのにその合間を縫って友達の誘いもあったりしてまたのみに行っちゃってカミサン大爆発!ごめんごめんごめ ん。拝み倒す。)

キャンパスは自転車だらけ

 

人文学部の校舎

さ て当日。早めに家を出て弘前までの道中、頭の中で講義内容をおさらいしながら国道7号線を走る。その中でどおしてもミラマックスの会長の名前が出てこな い。浪岡を過ぎても常盤を通過しても藤崎まで来ても思い出せない。まだ約束の時間11時40分まで30分くらいあったので紀伊国屋書店で確かめる。そうワ インスタインだ!
(彼を知らずして今のアカデミー賞を語るなかれ。今年もいろいろやってくれました。)そうしているうちに時間が来た。ヤバイ急げ!定刻40分に到着。研究 室を訪ねると森先生がいた。早速学務課に行き出勤簿にハンコ押す。一回だけなのにこんなにデカイ出勤簿に一個だけ押すのはもったいない感じ。そのあと二人 で昼飯を学食で食う。学食は1回の普通の学食と二階の冷房の効いたちょっと高めのレストランがあり僕らは二階のレストランでカレーを食べる。(本当は一階 の普通の学食のカツ丼がよかった)

学食(カツ丼食いてー)

さ あ授業だ。何日か前に機材は何を使うかと聞かれ何も考えてなかった僕はパワーポイントというソフトでそのまま画像がスクリーンに映し出せると言うことなの で前日とりあえず作ってメールで送って使うことにした。それをスライドとして使いリモコンを使いながら説明が始まったが、教壇に上ったら緊張して声が上ず り裏返ったりして、その上、息継ぎをどこでしていいかわからなくなり苦しくなったり完全に舞い上がってしまった。

ゼミの学生の講義なのにデカイ教室

偉そうに講義中

森先生

前 日に森先生がメールで送ったデータをプリントして学生に配布してくれたので、僕のつたない説明よりもそれを読んで理解はしてもらえたのだろうけど、あまり いい講義ではなかったようなきがする。約60分あがりっぱなしでしゃべった後、質疑応答があり一番心配していたまったく質問がなかったらどうしようと思っ ていたが(質問がなかったらFOXのライアップのDVDでも流してごまかそうと思っていた)杞憂に終わりゼミの生徒それぞれがいろんな質問をしてくれた。 ここらへんでやっと慣れてきて笑いも取れるようになってきたところでタイムアップ。よく映画を見に来てくれる弘大の学生さんが講義を聴きに着てくれて、と ても良かったとなぐさめてくれた!?。
少し森先生と話をした後、大学を後にする。ラベンダーがきれいな通りを走りながら青森に帰る。

なかなかできない体験をして緊張して体の血の巡りも良くなったが、自分の仕事である映画興行、映画産業を改めて見つめなおしてみて自分自身とても勉強になった。

そのなかでも特にアメリカのメジャーの巨大メディア化、そしてシステム化による変化など、そのシステムの末端中の末端に自分がいると思うとこれでいいのかなーと考えさせられた貴重な体験だった。

帰り道

 

2003年6月5日

「よりみち」

Filed under: 奈良屋通信 — Cinamedict @ 12:00 AM

東銀座歌舞伎座向かい鏡張りの湾曲している
のがUIP のビル、 おくのエンジのラインが入った
ビルが松竹本社。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画配給会社のラインアップ発表(これから一年間公開される予定の映画の説明会)はメジャー・インディペンデントともに、UIPみたいに、なんにもしな いところもあるし(これには理由があるのだが)、20世紀FOXのようにちゃんとDVDまで送ってくれる会社もある。今回の出張(といっても、もう一ヶ月 も前だけど)もヘラルド映画のラインアップ発表と何本かの映画の試写と各社との秋以降の映画の打ち合わせが主たる目的だった。でも今回は個人的な目的も一 つ“寄席”に行くというのがあった。

仕事の一つは、これを見に行きました。

生 涯の友・芸術家ぺぺ中村がFAXで「小さんまつり」があるというのを送ってきた。東京に行くまでは行けるかどうかわからなかったけど“思いがけず”時間が 空いたので試写一本トバシテ(ごめんSさん)新宿末広亭へ久しぶりに行った(15年ぶりくらいか)。末広は、そこだけ何も変わらず大学生の時によく通った 末広そのままだった。

久々の新宿末広亭です。柳家小さん一周忌で”小さんまつり”をやってました。

小 さん祭りは柳家小さん一門が小さんの一周忌を祝う?記念の寄席でこの日は柳家若手の会。孫の花禄もよかったがその後の喬太郎が“俺も柳家だったんだ”なー んてフリや“ジパング”の田中耕一さんと“RAB”の営推の名物男・江戸さんを、たして二つに割った感じの顔と物凄くクダラナイ新作落語がおもしろかっ た。そしてトリの市馬がじっくり「大工調べ」を、まさかと思ったがしっかり最後の方までちゃんとやったのには恐れ入った(最後のお白州の場面を聞いたのも 15年以上ぶりか)。志ん朝が死んで、小さんが死んで、談志が変で、なんか落語も死んじゃったみたいな感じを持っていたけれど、久しぶりに寄席で聞いた落 語は心地よく、とりわけ若手の落語家の新作・古典、両方とも大いに結構な芸で、なんか安心した。まだまだ落語の未来はある。

末広の中。はじめて二階に上がった。

そ んなこと思いながら新宿のNEWダグで中村と待ち合わせ、いつものように白ビール飲んで待っていたが中々来ない。二杯目飲んでいたら“谷田さん中村さんか ら電話”ダグで待っていたって。その後ダグでワイン一本飲んで、ゴールデン街の奈美ちゃんとこで又ワイン飲んで焼酎飲んで出張の一日目は明けるのでした。 色気ね―な。でも、いつもこんな感じ。仕事もしていますからアシカラズ。

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