2009年5月4日

意外ね

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 11:22 AM

「天使の眼、野獣の街」は、あの叶井俊太郎氏のトルネード・フィルムで配給している香港映画。正直言って上映するにあたって”どんだべなー”感いっぱいの映画だった。だってフィルム1本しかないし、プレスも紙一枚の簡易的で写真もチッチェー(これがパンフにもなっている!300円だけれど)どんだんずーな映画。いつものように叶井節炸裂ラインアップ見ながら”やってよやってよ”コールにほだされて、とりあえず事務所では”なるほどね~”的な言葉でお茶を濁しておいたのだけれど期待はしていなかった。これがお得意のゲロゲロホラーだと即決ダメだしできるんだけれど。考えると彼のお家芸のゲロゲロホラー大嫌いな僕。それでも十年以上付き合っているのも不思議なんだけれど、腐れ縁ってやつだなこれ。でも営業担当の沖野さんが電話よこして”叶井から聞いていました。いつにします?”叶井さんとは対照的にまじめで一生懸命な沖野さん。”やっぱだめ”だなんて言えなくてズルズルとブッキング(上映と上映日程決めること)。そして映画見たら、これがすごくおもしろい。個人的にはこの前やった、この監督の師匠ジョニー・トーの「エグザイル/絆」よりこっちの方が好き。映画の何一つ無駄のない、ハラハラドキドキの”あっ”という間の90分。監督ヤウ・ナイホイは香港ノワールの巨匠ジョニー・トーの脚本家。といってもジョニ・トー作品は基本的に脚本なしで撮影が進行していくので構成や記録とかを交えた脚本担当といっていい。黒沢明でいえば橋本忍ではなく青森県が生んだ巨匠小国英雄みたいな感じなのだろうか。映画初出演のヒロイン、ケイト・ツィの涼やかな目とレオン・カーファイ、サイモン・ヤムの、あんたらガンダムのニュータイプか?みたいな研ぎ澄まされた五感を超える感覚。「マジ叶井さんとこの映画なの?これ」と、おもわず言っちゃったラジオのHさんの驚くのも無理はない。惜しむらくは宣伝まったくしてないので世間が知らなすぎる。でも、こんな映画に出会えてメッケモン、得した感がある映画館もあっていいんじゃないか。おすすめです。

2009年2月21日

停電

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 1:45 PM

シャレにならないくらいの暴風雪。昨日の夜「TOKYO JOE」のテストをして終了後、外は尋常でない嵐。冬場の台風というものがあるのかは知らないが台風より”怖い”と思わせる光景。家帰るのやめようかなと一瞬思った。それでもトロトロ深夜の渋滞を車で猛吹雪の中帰る。翌朝電話・・・空調が動かない・・・・”昨日の吹雪で凍みた?”空調屋さんに電話して、とりもなおさず劇場へ。なんか様子が変。照明はつくけれど、空調どころか映写機も動かない。”停電”だ!配電盤をあけてみるが、どうも動力の電気来ていない。へたなことすると大変になる電気関係。電気保安協会に連絡するも、そこらじゅうで停電でてんやわんや。いつ来れるかわからないという、冗談じゃない。今日は「ハルフウェイ」の初日なんだ。なんとかしてくれと再度電話。なんだかんだでやっと来てくれる。原因は昨日からの暴風雪で屋上のGHPに雪が入り込んでショートして漏電でブレイカーがおりたらしい。とりあえず点検して、なんとか上映は間に合った。ふぅ

2008年11月1日

ハンサム★スーツ

Filed under: ノザック コラム,奈良屋通信 — dict @ 2:03 PM

「ハンサム」って、いったいなんだろう。たぶん、スタイルがよく(簡単に言えばデブではない)、目鼻立ちがはっきりしていて(イケメンというやつ)見た目が良い人。男女の差別化の基本とでも言うのだろうか。でも、古今東西、はやりすたりがあるのも事実。一昔前と今とでは、ここで言うところのハンサムの基準は変わってきていると思うし、個人的にも好みというものもあるし、とてもあいまいな基準でもある。生物学的に言うと、「種を残す」という生き物の本来の本能のためにある優劣の基準でもある。まあ、そんな小難しいことを考えなくとも、男は、女の子にモテタイわけで、ハンサムというものに憧れと嫉妬が男にはある。反対に女の子だって、とりあえず見た目で最初は男を判断するわけで、ハンサムにこしたことはない。でも、それだけがすべてじゃない!声を大にして僕は言いたい!ハンサムだからって、いい男とは限らない。絶対、いい男とハンサムは違うのだ。

「ハンサム★スーツ」ロードショー公開中
ブサイクゆえにモテない人生を歩みながら、偶然出会った“ハンサム・スーツ”を着てハンサム男に変身した主人公の姿を描くラブコメディー
脚本:鈴木おさむ
監督:英勉
出演:谷原章介、塚地武雅、北川景子

2008年9月12日

カツ丼

Filed under: 奈良屋通信,街中まともな食堂応援隊 — dict @ 8:31 PM

なにをかくそう、(かくしてないが)カツ丼が好きだ。子供のときから、とんかつが好きで、父親からの馴染みの本町の「喜多八」の真夜中のヒレカツ定食や新町の「亜希」のカニコロッケやスタ弁、「牛せん」のB弁やカキフライ・カレーとメタボなメニューがならぶが、好きなのだからしょうがない。(最近はホドホドにしています)昔、東奥日報に書いていた自分のコラムで、映画のこと書かないで、いきなり「カツ丼が好きだ」というタイトルでいかにカツ丼が好きかを書いて、担当の阿部ちゃんをこまらせた。弟が病気で入院したときは”カツ丼断ち”して平癒を願い、コウカテキメンで彼は今は元気でいる。まぁそれだけカツ丼が好きだ。昔だったら、夜店通りの国道はさんで山手にあった「清和園」というお蕎麦屋さんのカツ丼が好きだった。今は、シネマディクトのひとつ海側にある通りの「勝むら」のカツ丼が好きだ。でも、なんとその「勝むら」が、この9月20日で休業するという。なんということだ。これは個人的にだが、食の危機だ。まともな職人が作った食い物をそのうち食えなくなるのではないだろうかという、漠然とした不安が心のどこかにある。寿司にしろ、カツ丼にしろ、郊外のチェーン店におされ休業を余儀なくされて、気がついたら大量生産の”エサ”みたいなものしかなくなったらどうなるのだろう。漠然とした不安が現実になりつつある。今日もお昼に「勝むら」に行ってカツ丼を食う。おいしかった。でもまだお別れしたくないので、おやじさんに「また来ます」と言って気分は「網走番外地」「幸せの黄色いハンカチ」でみごとなカツ丼食いを見せた、カツ丼界のスーパースター高倉健(カツ丼抜いても普通に大スターですが)の哀愁を漂わせ店を出た。

2008年5月18日

あおもり草紙 青春映画館 小屋育ちⅠ

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 12:19 PM

1961年(昭和36年)1月12日津軽で言う“腰きり”と言われるほどの大雪の日に僕は生まれた。生まれた場所は県庁のとなり今の「青い森公園」の場所。といってもエディット・ピアフみたいに路上で生まれたわけではなく(ピアフも噂だけで本当は病院で生まれたらしいけれど)47年前は、ここに青森県立病院が建っていた。僕を身ごもった母は、予定日の正月に一ヶ月も前から、ここの皮膚科部長だった叔父のツテで、商売も、かき入れ時の年末ということもあり、ていの良い島流し的に強制入院させられていた。「薮入り」といわれた昔から、盆と正月は映画館には、うなるような人、人、人、でにぎわっていた時代、僕の“ウチ”奈良屋劇場も、あふれんばかりの人で大盛況だった。当時の奈良屋劇場は邦画の二番館で東映のチャンバラ映画を中心に第二東映、大映、東宝、松竹、日活、新東宝など、なんでもありの雑多な娯楽映画の二番を週代わりで二本立て、三本立てで上映していた。出来立てほやほやの封切り映画を上映する映画館と違い、少しとうがたったかわりに3本立てで安くお得な大衆映画館でとても人気があって、となりカドの県庁の方まで長蛇の列が出来たという。当時は今の一本限りの入れ替え制と違い、流し込みという、いつでも劇場に入れて、いつまでもいられるシステムだったので、こんなかき入れ時は、映画の休憩時にお客さんの顔を覚えておいて、一回り映画が終わると「おめー全部みだべ、出ろ」といった乱暴な、なんとも今では考えられない役回りの人もいたというくらい忙しい時期に出産予定だったのだ。
実際、跡継ぎの誕生に万全を期しての入院でもあったらしいが、母に聞くと一ヶ月にも及ぶ入院生活は退屈で退屈で、しかもよほどこの世に出てきたくなかったのか予定日を大幅に過ぎてからやっと出産して大変だったと事あるごとにこの話を僕は聞かされるはめになる。だから一つ違いの弟の時は、あんなことはもういやだと、さっさと浪岡・下十川の実家に僕もろとも脱出。おかげで産婆さんの手で生まれた弟は、その後も健康優良児で医者の世話には一切かからず自分が医者になった。弟が生まれて程なく第二子に会いに父が下十川にやって来た時、岩木山を望むりんご園の中を走り回って日に焼けて真っ黒になった僕を、まさか自分のせがれとは気がつかず「ずんぶ黒れぇ“なずぐ”わらしだな」と思っていたらしい。(自分の息子忘れるな~!)
僕は物心つく前からすでに映画を見ていた。父も母も昔から年中無休の商売である映画館で毎日忙しく働いていたし自宅も映画館の中にあったので今でいう仕事とプライベートの区別が出来るわけもなく、津軽で言う“なげわらし”で、かまってくれるひまもなく、たくさんいた使用人と一緒にご飯食べ、自転車番しながら遊んでもらったり、ポスター貼りの糊を冬場だったら石炭ストーブの上で小麦粉で作ったり、街の銭湯や床屋さんに“街張り”といったポスターを配るのにくっついていったり、映写室でフィルムの切れッ端集めてカミソリで削ってフィルムセメントでつなげたり、当時の映写機の光源だったカーボンの棒の交換させてもらったりと、自分んちの映画を見ているか、働いているみんなの邪魔をしているか、そうして過ごしていた。映画館のことを昔は芝居小屋からのならわしで“小屋“と呼ぶ。僕と弟はまさしく「小屋育ち」の二人兄弟だった。
親は毎日仕事で忙しいし、父にいたっては映画会社のセールス(営業担当)の接待で、夜遅くまで帰ってこないし、朝はこっちが学校に行っているので、ずっと会わない日が続いたりのすれ違いの家庭環境のうえ、ウチの目の前の通りが夜店通りという商店街なのだがその道を境界にして小学校が違い、学校が違うとそれまで仲良くしていた子とかも疎遠になり、それでなくとも、官庁街の近くで当時から子供があまりいない地域なので学校から帰ってやることといえば場内に入って映画を見ることしかなかった。その頃になると映画も東映が歌右衛門・知恵蔵・錦之助・橋蔵の時代劇から高倉健・鶴田浩二の仁侠映画や大映が勝新太郎の「座頭市」「兵隊やくざ」市川雷蔵の「眠り狂四郎」「陸軍中野学校」や「ガメラ」「大魔神」などの特撮物。東宝の植木等の「日本一シリーズ」、森繁の「社長シリーズ」や「駅前シリーズ」、加山雄三の「若大将シリーズ」など枚挙にいとまがないほどの映画の数々。友達と遊ぶことがなくて寂しいと思う暇がないほど、たくさんの映画が友達だった。でも、そんな映画の中で、特別なものがいくつかある。一つはジイチャンの“みたらあかん指定”「眠り狂四郎」「不良番長」などがこれにあたる。でもかくれて全部見ていた。そして「四谷怪談」「番町皿屋敷」「怪談 累ヶ淵」などのお化け映画。 お盆の時期に必ずやっていた昔の白黒で時たま血の場面なんかだけカラーになるパートカラーといわれた怪談物は大嫌いだった。おっかないのだ。夜おしっこに行けないのだ。映画館は暗い。当たり前だが営業が終わってしめた映画館はもっと暗くてこわい、不気味でさえある。ましてや“お菊さん”なんてやった後の劇場の空気というか・・。しかも隣に行くより便所が遠いという恐ろしい建築環境!おかげで今でもオバケ、ホラーのたぐいは見ないしシネマディクトでは上映しないのだ。
初めて映画館で洋画を見たのは12歳の小学6年生の時。見たのは「ポセイドン・アドベンチャー」場所は奈良屋の裏にあったミラノ座。運転手の倉内さんが映画の終わる日、楽日に駅の貨物にフィルムを出しに行くのに、くっついていき帰りに寄って見たのが最初。といっても途中からで、もう終盤に差しかかっていてジーン・ハックマンが、ぶら下がって火の海に落っこちてしまうシーンから見るという、なんとも微妙な洋画初体験だった。その頃になると友達もできて一緒に良く他の映画館に映画を見に行くようになる。その当時の見た映画を思いつくままに並べて見ても、パニック映画の「タワーリング・インフェルノ」ではモーリン・マクガバンのテーマ曲に魅せられサントラというものを知り。「ソイレント・グリーン」「大地震」ではチャールトン・ヘストンという役者が好きになり「ベンハー」も見てアメリカ映画の壮大さを知る。「サブウェイ・パニック」「ジャガーノート」は今でもそのエピソードがTVや映画に使われる名作だし、違うジャンルではSFの「猿の惑星」シリーズ、ロマンスという言葉が似合う「華麗なるギャッツビー」、今でも困った質問でもある“今までのベスト3“には必ず入る「ゴッドファーザー」、そして甘酸っぱい記憶の「ジェレミー」「小さな恋のメロディ」「卒業」、おっかなかったけれど友達二人で見に行った「エクソシスト」、僕のライフスタイルに多大なる影響を与えた「アメリカン・グラフィティ」その後ジョージ・ルーカスが「スター・ウォーズ」を作るとは夢にも思わなかった。今でもあの音楽が耳に残る「ジョーズ」「ロッキー」。フランス映画もたくさん見た「個人教授」でナタリー・ドロンに恋をして「暗黒街のふたり」でミムジー・ファーマーにあこがれた。「クレイジーボーイ 金メダル大作戦」「大沈没」などフランス独特のお笑いも好きだった。ポール・マッカートニーの主題歌がロジャー・ムーアーの007よりも記憶に残っている「007死ぬのは奴らだ」。思春期の思い出「エマニエル夫人」弁当持って団体で見に行った友人たち。そしてみんなが熱狂した「燃えよドラゴン」みんな空手の道場に通って新町通りはだしで走ったりしていた。その後のバッタモン・カンフー映画の数々。あけてもくれても映画映画映画。洋画ばかり見ていたわけではなく、「仁義なき戦い」のオープニングのテーマを聞くと、なぜかウチの劇場の朝、開場時の水を打った踊り場を思い出す。「寅さん」と松本清張シリーズは、よく父と二人で見に行った。「砂の器」を一緒に見に行ったときは、泣くのが何か恥ずかしくて嗚咽を抑えるのに必死で具合が悪くなったのを覚えている。二人で映画を見に行く時は青森市内の、どこの映画館でも父が「まいどー」って入って行って、その後ろにひっついてチョコッと頭下げて入っていくのが”ただ見“という感じで、なんとも恥ずかしくていつまでもなれないでいた。一人や友達で行く時は招待券もらっていくので平気だった。そう、お金を払って映画を見たことがなかったのだ。初めてお金を払って見た映画は大学一年生になって初めて一人暮らしをした神奈川県の藤沢で見た「ビッグ・ウエンズデー」。学生一枚って言って学生証見せてお金を払う時ドキドキしたのを今でも覚えている。その後の大学生活でも父が手配してくれた東京の映画館の招待券で映画を見たり試写室で映画を見たりと日々映画は見ていた。そして大学生活も終わり、これからどうしようかと思いながらも漠然と青森に帰ろうと思っていた。青森でずっと待ってくれていた恋人のこと、自分のうちの現状や両親のこと、とりわけ、ほとんど一人で劇場を守っていた母のことなど、宿命とでも言って良いのだろうか小さい時から跡継ぎとして育てられたからなのだろうか、青森に帰るのが、奈良屋に帰るのが当たり前だという気持ちが僕にはあった。父も口には出して言わなかったが、そう思っていたふしがある。大学の研究室の先生や友人たちは、東京に残るものだと思っていたらしく、驚き、なぜだと問うたが「跡継ぎだから」と僕は一言で済ませていた。それでも映画関係やら、いろいろな関係の就職先を世話してくれたが最後にはガンバレと言ってくれた。そして昭和58年大学を卒業して、ボロボロになってピンク映画の小屋になっていた奈良屋劇場に僕は帰ってきた。

2008年4月6日

本年度アカデミー賞

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 11:49 AM

受賞作・ノミネート作が目白押しです。
まずは最優秀外国語映画賞受賞作品「ヒトラーの贋札」は上映中

4月11日まで
4月12日からは最多の7部門ノミネート&最優秀助演女優賞受賞「フィクサー」と
監督賞など4部門ノミネート「潜水服は蝶の夢を見る」を上映

5月9日まで

4月24日まで
その後も、
「君のためなら千回でも」4/26~5/9
「アイム・ノット・ゼア」5/24~6/6
「つぐない」6/7~6/20
「告発の時」7月  とオスカーロードは続きます。

2008年2月2日

椎井さん

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 2:07 AM

椎井由紀子さんは映画のプロデューサー。今回は「歓喜の歌」のプロデューサーとしてRABラジオ「土曜ワラッター」のゲストとして青森に来てくれました。昔で言えばマキノ光男、永田雅一、大蔵貢、俊藤浩二と、”にやっと笑って人を刺す”ぐらいな、つめたーい!おそろしーい!御方々が映画プロデューサーの僕のイメージなのですが椎井さんは違います。なんといっても女性です。なのにそれを超越している映画を作ります。一連の阪本順治監督作品「顔」「この世の外へ」「亡国のイージス」「KT」や相米監督の遺作「風花」などイメージと違う伝説の女傑であります。でも見た目そんなんじゃなくて綺麗な人なのです。でもこと映画のことになるとオッカナイというか筋の通った人でもあります。だから映画作れるのだけれど。話をしていて、これからの日本映画について遅くまで話しました。というか貴重な話をたくさん教えてもらいました。尽きることないです映画の話は。でもラジオ出番終わったの10時半、その後番組終わったのが11時半。打ち上げスタッフ全員そろったのが12時!そこから飲んで食って話したらあっという間に朝です。すみません。それなのにチョコと「やらと」の羊羹までオミヤでいただいて感謝感激雨霰。次回作も興行頑張りますのでよろしくねがいまーすな気持ちです。

2008年1月14日

ジャガーノート

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 11:17 AM

朝から映画鑑賞「ジャガーノート」。大好きな監督マークじゃなかったリチャード・レスターの名作。出演者もリチャード・ハリス、オマー・シャリフそして若き日の?アンソニー・ホプキンス、そしてイアン・ホルムが出ている。ラストシーンの”赤か青か”どのくらいのTVや映画で使われただろう。最近でも福山主演のTVドラマで使われていた。
リチャード・レスターが好きなのはビートルズ映画二本「ヤァ・ヤァ・ヤァ」「ヘルプ」の監督でもあるし、アメリカ人なのにイギリス中心の映画が多いし、「スーパーマンⅡ・Ⅲ」なんかも撮っているけれど、英国的なほうがあっている感じが好きだ。特に「ジャガーノート」は何度見てもおもしろい。

2007年11月25日

こんなときもあるさ

Filed under: 今日のダニー,奈良屋通信 — dict @ 4:40 PM

先週は、風邪ひいて、鼻水から鼻ズマリになり体調最悪。それなのに雪は降り積もるは、映写トラブルで、迷惑かけるはで、心身ともに傷心な日々。それなのに映画は3本初日でそれぞれテスト・ランしなくていけない。二日間、朝コバヤク劇場行って一人でテスト。これをやらないと上映中に休憩になったり機械止まったりするので、どうしてもやらなければいけない。
連休に入ったら映写機がストライキをおこして自動で、できなくなって営業には差し支えないが、そのつど手動で動かす。何度も何度もチェックして怪しい箇所やっと見つける。サンキューゴッド!いろいろ怪しい箇所考えてどうしようか迷って、さわると危険な場所や、一回やっちゃって失敗したらハイそれまでよでビクターに電話して来てもらわなくてはいけない場所、ここでバンザイしたら部品3千円、手間賃あごあしで二人も来たら30万コースということもありえる。年末に、この出費はなんとしても避けたい。今回は、ちょとしたビスの緩みだけで問題解決(たぶん)。中ちょさないでよかった。こういうときいつも映写室で叫ぶ!「工学部じゃねーんだよオラァ」でもガンバッテなおさないといけないからなんとかするのです。

2007年11月5日

クワイエットルームにようこそ TOO LIFE 最終回

Filed under: 奈良屋通信 — dict @ 10:08 AM

映画の役者を決めるキャスティング(配役)の決定権は監督とかプロデューサー、今なら製作委員会などがある。だから映画の入り不入りの責任は、それほど役者にはない。それでも映画は、最終的には役者しだいで作品の良し悪しが決まるといっていい。日本映画の黎明期、映画の出演者は、歌舞伎界から転身した役者が多かった。「目玉のマッチャン」こと尾上松の助。アラカンの嵐勘十郎。その後の歌舞伎出身の役者としては市川右太衛門、片岡千恵蔵、大川橋蔵、中村錦之助、市川雷蔵など、きらびやかな時代劇のスターが勢ぞろいである。映画会社もニューフェイスといったオーディションを行い、それぞれの会社で高倉健、小林旭、三船敏郎、など自前の映画スターを生み出していった。その他、エノケン、ロッパ、渥美清、三木のり平といった浅草のレビューといわれた舞台から出たコメディアンたちや、落語家たちがスクリーンをにぎわした。むつ市出身の川島雄三監督は、ある落語家を映画に出演させるに際し、その落語家の師匠を訪れ「一人の落語家を駄目にします」と断りを入れたという。昔の芸に対しての思い入れの違いがここにもある。さて、今の映画においての役者の状況はどうだろう。残念ながら映画俳優といった人たちは、あまり見かけない。映画会社もTVも、今流行っているタレントを立て続けに使ってあきたらポイなのだ。育てよう、見出そうなんて気持ちがあまりない。そんな役者状況に一筋の光のように存在する舞台、劇団がある。古くは新派、新劇、新国劇、アングラ劇団、小劇場へと枚挙に暇もないが多くの名優・怪優は劇団出身者がほとんどといって良い。そして90年代を代表する劇団で、絶大な人気の「大人計画」の主宰でもある松尾スズキの監督作品第二弾が「クワイエットルームにようこそ」。出演は内田由紀、大竹しのぶ、宮藤官九郎、妻夫木聡、蒼井優など今注目の役者ぞろいな一筋縄ではいかない映画なのだ。

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